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『りんだうとなでしこ』の舞台を訪ねる(前編) <福島・飯坂温泉旅行記 その2>
(📷↑こちらはマツバギク。自生しているのを、たくさん見かけました。残念ながらリンドウとナデシコは見つけられず。)
<はじめに>
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①『新編泉鏡花集 第十巻』(岩波書店)
②『りんだうとなでしこ』(プラトン社)
③飯坂温泉案内
④『鏡花紀行文集』(岩波書店)
⑤『薺 蝶々の目』(泉鏡花記念館オリジナル文庫)
岩波書店版『鏡花全集』巻21、28も。
あとは福島駅の観光案内所でパンフレットをいくつか。
初めての場所へ旅行へ行く時は、たいてい読んで気に入った本がきっかけです。今回も、飯坂温泉を訪れることにしたきっかけは、泉鏡花の『飯坂ゆき』(大正10年)という紀行文と『竜胆と撫子』(大正11〜12年)という未完の小説(発表分は『鏡花全集』巻21、28(未定稿)に収録)を読んで、興味を持ったからでした。
泉鏡花記念館のオリジナル文庫で読んだ『竜胆と撫子』は抄録ながら面白く、図書館で全集を借りて、一気に読んでしまいました。才能ある若き彫工(木彫家)・雛吉(ひなきち)と、幼い頃に両親を亡くした美しい娘・三葉子(みわこ)の、鏡花らしいロマンチックな純愛物語をベースに、『遠野物語』的な伝承・怪奇譚、主人公とヒロインを狙う悪党(異形のもの)一味との対立など、私の好きな「どこか少年マンガっぽい」鏡花作品でもあるので、結末が描かれなかったのは残念なところ。登場人物も女優や女学生、美術学校生など、定番の世話物や花柳界物に比べると、随分モダンな印象です。当時としては結構強い描き方をしている場面もあり、雑誌連載時、検閲で削除された部分もあったそうです。
逗子・葉山の旅の時と同様、小説の舞台やモデルになったと思しき場所を巡りましたが、今回は参考にできるサイトや情報もほとんどなかったので、出発前に本文を読みながら、ネットや図書館で調べて当たりをつけて、行ってみることにしました。ゆえに実際に何処かという答えを探すより、主に物語から受けたイメージを膨らます方向で旅することにしました。
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長編かつ未完のためか主に全集のみの収録で、青空文庫にも出ておらず、読んだことのある方は多くない作品だと思われますので、本文からの引用をしつつ、紹介したいと思います。興味を持たれた方は、ぜひ図書館で探してみてくださいね。
<旅客・振分髪>
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<1. 湯野の小川と鎮守の森>
国境の山々峰聳え、残んの雪の大空に、雲はやや暗く懸ったが、それは鎮守の森に隔てられて、黒い影はここには翳(さ)さない。
一方は、その宮の境内を斜に控えた、片側村の、小家の藁葺が三ツ四ツ。樹立の枝に桃も李(すもも)もない頃ながら、朝煙のまだ消果てない霞に浮いて、薄日をほんのりと浴びた様は長閑だけれど、土の湿りに青苔の皺を畳んで、渚のように背戸廂間(ひあわい)まで直寄(ひたよせ)に寄せているのが、忽ち山間の里にも、世の波の汐を想わせる。
路傍(みちばた)に里の小川がちょろちょろと、何処もおなじこうした村里の趣を平仮名で書いたように流れている。
(中略)
時に……流のへりに、土橋の際に、菖蒲の葉もその妹葉(いものは)の丈ぐらい、いたいけな背恰好で、背後向にちょんと小さくかがんで、可愛らしい手に朱塗の櫛を持って、蜻蛉が舞うように一寸一寸(ちょいちょい)と水をつけて、頬に掛るおくれ毛を掻いている女の児がある。
おくれ毛と言っても、お河童の些と伸びたのを、鬢へ引詰めて、頸へかけて、青いリボンで、リボンの方が大いくらいなのであるが、開いた菖蒲に見紛うにつけても、耳朶を掛けて襟元の美しく白い幼児であった。
雛吉の師匠・毛利先生と幼き日の三葉子が出会う、湯野の鎮守の宮のそばの小川。
のっけからアレですが、結局小川が何処なのかは、はっきり分からず。というのも、近くに田んぼがあるわけでもなく、どうやら暗渠になっているか、のちに上水道が整備されて、なくなったのかもしれません。
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確かに彼方に山や、家々が見えます。あやめの畑は見当たらず。。。
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「鎮守の宮」は向かいの西根神社と迷いましたが、
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この鎮守の森は、銀山閣の御新造が三葉子を迎えに行く場面でも登場します。
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現在は自動車がビュンビュン行き交う国道になっています。
平日のお昼前だったので、道行く人の数も少なく、静かな時間が流れていました。当時の山里の、藁葺屋根の家に小川が流れる、のどかな雰囲気は想像するしかないですが、ひっそりとした雰囲気は小説のイメージのままで、毛利先生が三葉子の黒髪を愛でる場面を想像しながら歩きました。
その児の振向いた、大きなおとなしい瞳と、濃い睫(まつげ)と長い眉を凝っと視て、莞爾(にっこり)して、
「いい髪だね、いい髪だね。」と密(そっ)と撫でて、
「御免よ。」と又莞爾して、
「いい髪だね、いい姉ちゃんだね。」
と云ううちに、少しこごみ掛かって、女の児の額に接吻しそうに見えたが、衝と胸を引くとそのまま、俥の方へ引返した。
女の児は菖蒲の葉の中へ、真白な大輪がパッと咲いたように顔を上げて立った。そうして一層大きく清い目をみはって、恍惚(うっとり)としかし驚いたように見送りながら、女性の天稟の優しさは、いま讃称(たた)えられた額髪に、両手で朱の櫛をのせたのが雪の峰の横雲に、紅玉をかざす、日の曙光の如くに見えたのである。
<2. 赤川橋>
渡りかけるとギイギイとなった。
そこで逡巡(しりごみ)したーー馬鹿な話だが、人っ子一人通らないのだから。
すると、桑畑の中を潜(くぐ)って、ちょこちょこと出て来た七つばかりの女の児がある。私の袖の傍(わき)を、ちょろりと橋を渡って行くから、「姉ちゃんこの橋は危なくないかい。」と言うと、人見知りもせず、色の白いのが、ぱっちりした目で振向いて、「危いわ。」と言って莞爾(にっこり)した。どうも悪戯ものだ、悪い奴だ、おどかすようだ、で可愛い口で、酸模草(すかんぽ)をちゅッちゅッ……と吸って食べている。
毛利先生が座敷わらしのような女の子、山姫のおつかい姫と出会った赤川橋は、観光パンフにもフォトスポットとして紹介されていて、わかりやすかったです。一面の桑畑と描かれているところは、現在は旅館や住宅、施設などに変わっているようです。
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昔はこの先に「陸軍の衛戍病院」があったようです。
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山形、天童に通う故道で、(中略)見ても寂しい。(中略)そっちへ些(ちっ)とばかり進んでみたが、町を離れて両方が畠になると、もう一里ぐらいは人里を離れた気がする。
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<3. 銀山閣と妙燈寺>
両親と兄姉を亡くした三葉子が引き取られる旅館・銀山閣と、三葉子を迎えに行く前に、御新造(お芳)がお参りに行く”弁財天女おわします” 古寺・妙燈寺は創作で、おそらく実際には無かったと思われます。(紀行文『飯坂ゆき』に登場する、鏡花が宿泊した旅館「明山閣」も架空の名前のようですし)
モデルになったと思しき旅館は、廓の先にあるという立地的に、皇族も宿泊した花水館(現在は廃業してホテル聚楽になっています)でしょうか。
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鏡花先生が旅館や湯殿の窓から眺めた景色は、こんな感じだったのかも。
河鹿の声は分からなかったですが・・・、
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見上げると銀杏の木があって綺麗でした。
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妙燈寺は「家並みの中を石段で奥に入る」との描写があるので、ここから近くて、昔は滝の湯が境内にあったという常泉寺がそのイメージに近いかと思います。ただ一見、弁財天の祠というは見当たらなかったのと、曹洞宗のお寺なので、次の章で詳しく描かれている真言宗のお寺・仙光院の様子とはちょっと違いました。旅館から近かったので、夕方と朝の散歩時にお参りしましたが、とても静かで落ち着く場所でした。
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<女神の俤 ーー小鼓ーー>
<仙光院>
物語の重要な鍵となるお寺・仙光院(せんこういん)(=妙燈寺)と周山和尚ですが、真言宗のお寺ということで、もしかしてこちらの八幡寺もイメージにあったのかもしれません。境内が広くて結構大きなお寺だったので、子供たちが遊びまわる小さなお寺の雰囲気とは違いますが、灌仏会のインドっぽいイメージや、近くに小学校があったり、山も近くで、いくつかの描写が一致します。
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銀山閣のお芳が、はじめて湯原の在へ、三葉を迎えに行った時、家を出て、行きがけに、そこまで俥にも乗らないで参詣した、弁財天を安置する寺は、真言寺で、仙光院といって当時和尚の名が周山である。
門前は一方田畝(たんぼ)で、田には水溜の池があって、時節には、菖蒲(あやめ)が咲く。……がそれには些と時節が早い。そのかわり和尚が丹精の門内、また背戸の牡丹は、寒い年だから輪は小さいが、薫は高く咲きはじめた。
この花を取って供養した、牡丹の塔とも謂つべく、中に釈尊出誕の像を据えて、今日は形ばかりの灌仏会を修したのである。
(中略)
唯(と)すぐそこの脇堂に、かの蒼空の銀河の波と、雪山の雪を合わせて洋々として漲(みなぎり)流るる、その水は宇宙に遍く摺上川にも灌ぐであろう源なる、インジャス川の貴き姫君おわします。
楽器持たせ給う弁財天である。
<後編へ続きます>