わかってもらえない人の気持ちがわかるということ
子供の頃から、心を動かされたことや面白いと思ったことを100%の熱量で伝えると、キョトンとされることが多かった。
その度に「あ、またわかってもらえなかった」と少し傷つき、だんだん100%の熱量で伝えることに臆病になり、結果60%の熱量と40%のわかりやすさくらいのバランスで伝えるくせがついてしまった。
おかげで伝える技術はかなり身につき「うん!わかりやすい!」と褒められるようになったが、やっぱり60%は60%なので、感じたことを伝えきれてない実感があり、また落ち込む。めんどくさっ!
一方で、伝わろうが伝わらなかろうがいつも100%の熱量で伝えようとする人もいて、そんな人を眩しく眺めつつ、それが出来ない自分の気構えの弱さを嘆いたりもしていた。
でも最近は「わかってもらえない人の気持ちがわかる」ことって、実は大事なんじゃないかと思っている。
当たり前だけど、世の中の人の多くは「わかってもらえない」ことに傷つき、苦しんだ経験をしたことがある人たちだ。
その時感じる寂しさや悲しさ、孤独感をわかってあげられること、そしてその気持ちに寄り添った会話や対応、ものづくりやサービスづくり、コミュニケーションづくりをすることは、その人たちの気持ちを救うことにつながる。ひいては僕の気持ちをも。
村上春樹は「壁か卵かで言うと、卵側の味方でいたい」と言っていたが、割れやすくて壊れやすい人の側に立てるのは、自分もこれまで「わかってもらえない」経験を数多くしてきた人だ。
だったらそんなこれまでの経験を嘆くのではなく、その経験があるからこそできることがあると考え、実行していくことが、自分の満足感をキープするのに大事だな、と改めて思い直した夏の日だった。
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