明け方が苦手だ
正確には「明け方に目が覚めて、まだ夢とうつつの境界線を彷徨っている感覚」が苦手だ。どっちの世界にも属してない、もしくはどっちの世界にも片足ずつ突っ込んでるような時間。
夢は記憶の再構成というから見た夢はもう一つの世界であるわけはなく、それも日常の一つに違いないんだけど明け方目がさめた時は、もはや記憶もおぼろげな夢の世界に二度と行けないことが悲しくてやりきれなくなる。
夢の断片を覚えている時、そしてその中に会いたいけど会えない人や、夢で過ごしたような時間を現実では一緒に過ごせない人が出てきた時はその悲しさややり切れなさが強すぎて、早くうつつの世界に戻ろうとスマホやテレビを見るか、もう一度夢の世界に戻れないものかと目を閉じる。たいていは戻れないんだけど。
会社の先輩で、夢の中にもう一つの世界があって現実とは違う家族と過ごしてるという人がいた。毎日見る夢は前の日の続きで、まるで人生が二つあるように感じるらしい。
その話を聞いた時は「いいなー二つの人生を過ごせて」と思ったが、よく考えたら夢の世界の家族はいつ消えてもおかしくない不安定な存在だ。僕だったらその儚さに目が覚めるたびに不安だし、もしその夢が見れなくなってしまったらおかしくなるだろうなと今では思う。
人の記憶がもたないようにできてるのは、すべての出来事を覚えていたらその取り戻せなさに心が耐えきれなくなるからではないかと思っていて、でも夢で過去の記憶を強制的に掘り起こされたらキツイよなあと感じると同時に、普段記憶の奥底に埋もれている大事な人やコトをもう一度感じられるのは嬉しいことでもあり。
結局何が言いたいのかよくわからない文章になったけど、実は今は明け方で、大切な夢を見たことだけは覚えているけどどんな夢かは覚えていないやり切れなさをなんとかしようと文を書いている最中です。
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