震災クロニクル4/11~15(41)
放射線との戦いにも慣れてきた。外出するときは必ずマスクをつける。外から帰ったら、必ず上着をパタパタ。洗濯物は外には干さず、室内に干す。部屋干ししても臭わない洗剤で洗う。靴は底を毎回丁寧に洗うようにする。必ず外の水道で。
個人商店の店舗も少しずつではあるが、再開してきた。しかし、中には悪しき噂とともに再開した店もあった。
震災数日後、生肉100g数千円で販売していた精肉店をはじめとして、アコギな商売をしていた店が再開したとしても、世間の目は非常に冷たいものとなった。そんな悪評は自分の耳にも入るようになり、デマであるかもしれないそんな不確定な噂も複数から聞けば、信憑性が増す。そんな小売店は再開しても誰が振り向くというのか。県庁に行った後の放射線量測定をしていた学校でカレー販売をしていた業者と何か重なるものがある。
彼らの商魂にカンパイ。とは言えないだろう。人の生き死にの間際で日銭を稼ぐ浅ましさに吐き気をおぼえる。
ガソリンスタンドの時短営業ではあるが、徐々に再開していった。自衛隊車両に加えて工事車両や作業車が怒涛の如く街中に散らばり、国道では原発方向に向かって早朝に一斉に向かっていった。もちろん夕方には大渋滞になる。避難住民ばかりのはずなのに、この賑わいと喧騒は大都会のそれとどことなく似ている。しかし、中身は全く異なった混沌と不安はこの世界のどこと似通っているのだろう。あえて言えば、戦争後のイラクやアフガニスタンのような荒廃だろう。人心の荒廃もそれと似ているはずだ。
除染作業員もどんどん増えてくる。夕方のコンビニでは長蛇の列だ。自分もたまたまそこに居合わせたのだが、
「○○○○出来たてでーす。いかがでしょうかー」
店員が大きな声で呼びかける。
「そんなことよりもさっさとレジやれ!」
長蛇の列の作業員から乱暴なヤジが飛ぶ。店員たちが総がかりでも対応できないぐらいの賑わいだ。本来はうれしいことではあるが、こんな状態では買い物するのに何分かかるのだろう。除染作業員を運ぶマイクロバスがコンビニに止まる度に、作業員たちで店内が埋め尽くされた。
複雑な光景だ。復興のために遠くから出稼ぎに来ている人たちには感謝しなければならない。しかし、その人たちのふるまいは被災者の傷口に塩を塗る行為や言動で溢れている。荒っぽい言葉でまくしたてる除染作業員。ただただ謝り、頭を下げるコンビニ店員。きっとこの人たちも被災者だ。
「この人たちが避難したら、君たち買い物できないよ」
勇気をもって、除染作業員に僕は言った。もう我慢ができなかった。
「……」
何も反論してこない。騒いだ作業員はそれから何も言わず出て行った。
何か時間軸がずれているような気がした。そのときに僕は確かに強い違和感を感じたんだ。
世間は「復興」と言う。「頑張ろう福島」と言う。
しかし現実は……まさに「震災中」なのだ。日々、震災による被害を受けている最中で、そんなときに「がんばろう」と言われてもねぇ。
除染作業員たちを乗せたマイクロバスはまたワガモノ顔で夕闇に消えていった。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》