戦略的モラトリアム⑰

その日から、どうも自分が何かの燃えカスに感じて仕方がない状態が日増しにひどくなっていった。合格で大学受験に本腰が入るかと思ったら、むしろ逆で、毎日の焦燥感が僕を襲ったのである。
それは僕の心のほんの一部分に点のような痣として在ったものが、次第に根をはり、僕に深く根ざし、やがて僕を浸食していった。いつかは表面化してしまうことを僕は恐れ、必死に隠そうとして明るく振舞うが、果たしていつまで続くのだろう。僕の焦燥感は次第に大きくなっていった……。








そして、時は流れた。
二〇〇〇年  四月上旬   場所 東京都に隣接する県の専門学校の寮
 精神状態 よくないが鬱にはならない

引越しの片づけが終わり、本当の意味での新生活が始まった。寮生活ではあるものの、とにかくあの街は抜け出せたわけである。六畳一間トイレ、風呂共同のここから僕の新生活が始まると思うと、どことなくほくそえみたくなる。いつまで続くかわからない静かな絶望感の中にある刹那の幸福感と高揚は、僕を、より一層混乱させた。何はともあれ、大学受験失敗と、その後の上京決定は僕にしてみれば、不幸中の幸いといったところか。いや、そんな安易な言葉では片付けられないとても複雑な、混沌としたカオスの中に僕は浮かんでいた。
しかし、とにかくあの田舎から飛び出したことについては喜びを感じるしかない。あの土地で一八年も過ごせたことはほぼ奇跡に近い。こんな愛着も何もない田舎は、何の未練もなく、自分の脳内からは完璧にデリートできたかなと思えた。僕はあの場所で学校、家族、地域……二重、三重もの抑圧を受けていた。他の者と同位であること。同じ行動をとるということがどうやらあそこのモラルだったらしい(笑)。考えただけでも思わず噴出してしまう。今、あの場所を離れてみて、改めて考えてみると、あの街ってのは自分にとってゲットーのようなものだった。そこから、どんな理由であれ、抜け出したことは自分の中でとても大きいステータスになるのではないか、なぁんて大げさに考えてみたところで、また、現実の不安感が襲ってくる。この不安感はどこから来るか、所在不明ではあるが……。ともあれ、今はこの新天地で暗中模索の日々を送るしかない。とても大きな喜びであるはずなのに、スプーン一杯程度のほくそ笑みをする以外に自分を慰める術はなかった。

「慰める」……?どうして?

ここでの僕の不思議な劣等感や不安感は次のような感情から出ているように考えられる。

いくら上京したとはいえ、大学生になれなかった悔しさは一生僕に付きまとうであろう。この専門学校に行くと決めたのも、何とか理由をこじつけて、半ば強引に親にたきつけただけの話である。別に専門学校に希望を見出したとか、この専門学校じゃないとだめだったとか、そんな理由ではなかったんだ。

僕は僕の中でも完全に悪者になったんだ。
家族の皮肉に満ちた辛辣な言葉を僕は、まだ覚えている。きっと、呼吸が止まるまで忘れることはないであろう。投げられた言葉の中には
「働け。」
って、キーワードが共通してあった。でも僕はそれを拒否し続けたんだ。引き合いに出す材料がないと家族に押し切られるから、こういう風に言った。
「東京の専門学校行けなかったら、僕は部屋でずっと暮らしてやる。二度と社会になんかでないし、無理矢理にでも出しそうとしたら、ぶちのめしてでもまた部屋に引きこもってやる!」
渋々家族は地元を離れ、東京の専門学校に行くことを承諾したのである。僕にとって反省すべきは大学に合格できなかったってことなのに、家族の前では完全にひらき直っていた。だって、もし「反省してる。」なんて口にしようものなら、その弱みにつけこまれて、家族のいいように将来の方向付けされちゃうからね。そこは一〇〇パーセント僕の意思を主張しておくことはとっても大切だったんだ。
僕はこうやって強引に一人暮らしの権利をもぎ取ったのである。反則に近い行為はあったけど、何とか家族とあの地元から、遠く、遠く離れた地に来ることができた。

引越しの日。誰も駅に見送りに来ず、家族戦争は冷戦のまま、僕は一人でローカル列車に乗り込み、そしてここまでやってきた。誰にも
「いってこい。」
とか、
「がんばれ。」
とか、激励の言葉なんかなかった。とっても寂しい出発。
でも、僕はここの土地の人に激励の言葉なんかもらいたくなかったし、仮にもらってたとしても、丁重に皮肉混じりのお返しをするつもりだったけどね。

とにかく、出発の日、僕の中はいろんな思いが駆け巡って混乱していたんだ。例えば一人暮らしできる楽しさや期待感はあったと思う。でも、一方では大学生になれなかったことで四年間のモラトリアム延長券を手に入れることができなかったとともに、それほどの学力を備えていなかった自分へのやるせなさがあいまって、津波のように幾重にも僕を襲ったんだ。
嬉しさと物悲しさは僕をよく分からない生き物へと変化させた。それから、僕はしばらくとっても薄っぺらく、表層的なことしか考えられなくなったんだ。どうしてかは分からない。ただ、一八年間いろんなことがありすぎて、僕は心底疲れたんだと思う。だから、僕の深層心理ともいうべき、根っこの部分はぶ厚い扉で閉じられ、鍵までかけられた。決してアクセスすることは許されない。果てしなく思慮深いモラトリアム人間は電車の中で封印されたのである。所謂、僕という根っこの存在は完璧に幽閉されたってわけである。

一人暮らしするにあたって、心底一人暮らしを愛したモラトリアム人間はどこかにいってしまったわけである。
旅立ちの電車の中、新学期の準備でもしてるかのごとく自転車で疾走する少年を見かけた。広大な田園地帯の中で颯爽と走る自転車。僕はその光景が感傷的に涙腺を刺激していたのを覚えている。さっさとこんな光景忘れてしまおう。頭を掻き毟る僕はお世辞にもかっこいい若者ではなかった。

二時間ぐらいずっと電車に乗っている。僕は無味無臭の干物。電車の義務的テンポに体を揺らしている。窓から見える風景にはもうあの少年の面影はなかった。巨大な建物がドンドン増えていく。住宅地から商業地へと、そしてその先は巨大コングロマリット群。ビルとビル隙間を縫うように走る電車。僕は電車内で都会の喧騒に同化しようと努めた。だってここは僕の主張なんて誰も聞いてくれない極寒の地。だから人の流れに身を任せて、日々猶予って生きた方が懸命だ。もし、流れにのりたくなかったら、部屋に逃げ込めばいいだけの話。誰も僕に関心なんて持ってくれない。僕が何時にコンビニにいったって、はたまた何時に寝たって関係ない。それはそれで嬉しいことではあるけれど。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》