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戦略的モラトリアム【大学生活編】(30)

大学2年 春休みに突入した3月末

ボクは東京都の国分寺にいた。入試も大方が終了し、頻発する列車事故にも「あぁ、またか」程度の恒例になりつつある季節。並木道を歩いて別の大学へ向かう。東京でも都心から離れると、こうも違うものかいう郊外の景色が眼前に広がる。まるで「あすなろ白書」の冒頭シーンを見るようなテレビを切り取ったような風景はまるで自分がドラマの一部に組み込まれたような錯覚を覚える。4月には浮き足だった学生たちで騒々しくなる前に拿他の大学の様子を見てみるのも一興だ。2月の寒空も4月の快晴に衣替えしている3月の曇天はボクにはなぜか落ち着いた街を際立たせるスパイスのようなものだ。


とある大学の正門に着くと、警備員を横目にさも本学の学生ですとでもいうようにキャンパスに入っていく。図書館は自分の大学よりも一回り多く、学生がチラホラ勉強している。どこの大学でも同じように勤勉が学生がいるものだ。自分はそうではないけれども・・・・・・。ふと
【入試資料】

この本棚に足を止めた。そう、自分の目的はまさにここだった。大学院入試の過去問を手に入れるためここまで来たのだ。しばらく眺めると、数年分をコピーして足早にその大学を後にした。いや、大学院に進学しようとしたわけではない。可能性の一つとして、大学院ではどんな研究をして、そしてその程度の知識が必要なのかを確認したかったのだ。しかも自分は社会学部で、ここの大学院は教育学研究だ。系統がまったく違うのになぜここを選んだのだろう。それは夏の研究会のあの鉄火場のような熱さが影響していた。勿論、夏の暑さのことではない。あの研究会で会った、彼らのような熱がボクにはまだなかった。いったい彼らは熱くなるようなものが何なのか知りたくなったのだ。

後世に素晴らしい人材を育成するためとか、これからを生きる世代を育成するためなんていう高尚な目的なんてない。あそこにいた彼らに共通してあった「熱」の原点はいったい何なのだろうという単純な好奇心のみがボクにはあった。

思えば、大学なんて社会人になるための延長線のようなものだと考えていた。そう、僕にとっての大学生活は漆黒だった中学・高校時代の捲りのため、10代の好き勝手を合法的に延長させる手段に過ぎなかった。深夜のコンビニや松屋、週の初めは午前三時にジャンプを買いにミニストップへ。夜更かしや夜歩きは今だけ許された特権のようなものだ。とはいっても、自分の育ったあの田舎では深夜にどこに行こうが、何もなかったわけだが。

大学生活も折り返し地点。このまま自分がモラトリアム学生生活を全うできるかは今の心理状態に大きく左右される。学会で出会った彼らの生態を一通り知れば、頭の中で飽きもくるだろう。
そうやって大学生活後半戦3年目の春を迎えようとしていた。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》