戦略的モラトリアム【大学生活編】(26)
かくして研究会は恙なく終わった。懇親会にも参加して現役の教員や研究者の人々と話し合ううちに、自分もまるで一つの学問を探究している一人になったかのような錯覚に陥った。それはまるで最先端を走っているランナーの集団に自分の加わっているかのよう。今までは最後尾、もしくはそんな競争からは途中でドロップアウトしたハグレ者にすぎなかったのだが。
心地よい高揚感と自分の人生で始めって会ったタイプの人間たちとの触れ合いの中で困った感情だ。決して悪い気持ちではないけれども、余計に自分が惨めに見えてしまい、あの集団の中には自分がふさわしくないのではないのだろうかという疑念が生まれる。この確信に近い疑念は不登校だったあの頃、そして学校を辞めたあの頃、教員は自分にとってどう見えたかを鮮明にフラッシュバックさせるのである。総武線の車窓から見える煌びやかな都会の星屑のような明かりたちは否が応でも自分の視界に入ってくる。とても賑やかに見える東京の景色。研究会の活気。そして自分の十代の潜水生活にも似た薄明かりの佐野元春・・・・・・
モグラが地上に飛び出してきて、激しい明かりに当てられた。目を細める。
そんな気がしていた。やがて、モグラは暗闇が恋しくなりまた穴に潜っていくのだが・・・・・・
研究会の熱気に当てられて、自分もふさぎ込んだあの時代に帰って行くのか・・・・・・。
嫌だ!せっかく大学まで来たのにまたあの時間に時計を逆回ししたくない。しかし、一方で輝いていた研究会の彼らをすぐに追いかけようとも思わない。混沌とした頭の中、自分は今の場所に留まるしかなかったのだ。
邪な気持ちで大学に進学し、モラトリアムを有意義に使わせてもらっている自分には今のスタンスを変えるほどの勇気はなかった。彼らから貰った眩いばかりの知的好奇心を自分は持ち合わせていないし、その光に当てられて少しぐったりとしている。そんな自分がたまらなく素直ではないと自己分析をしていた。
「研究会はお疲れ様ね」
あの先生の帰りがけの言葉がまだ耳に残っている。残響の中、自分の今までの人生を振り返っていた。
モラトリアムは猶予期間。そして社会に出るための猶予をボクは青春の晩年を満喫するために使っているのだ。でも、それもいつかは終わる。みんなそれぞれの方向に向かって歩き続けているのだ。ボクは大学のユリカゴに揺られ、毎日ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら。
これを俗に「人生ふらふらしている」と言うのだろう。
ふらふら上等。自分はその時間を手のひらで転がして、最大限まで猶予を満喫してやる。そう固く誓っていた。でも今は・・・・・・