戦略的モラトリアム【大学生活編】⑭
店内にはゆったりとしたJAZZが流れる。当たりにはうっすらとたばこの煙が漂い、春霞のように美しい。一番奥のテーブルに座っているおじさんに軽く会釈をして、自分はカウンターに腰を下ろした。ガラス越しにアンティークのカメラ。そして詩のようなものが書いてある色紙。
「○○〇鯉はゆっくりとくる」
奥の方の文字は読めないが、何か独特の雰囲気だ。あいだみつをではないが、言葉の切れ端一つ一つに普通ではない何かを感じた。「鯉が」「くる」?どうしても主語述語の関係に不思議な感覚を覚えずにはいられない。おそらくは著名な方の作品なのだろう。それに加えてアンティークな置物がいくつか並んで見える。
重厚な香ばしさの珈琲がそこら中に漂う。
スラッとした中年の女性がおもむろに入ってきて、一番窓際の席に座る。か細く長い足を組んで、
「ハワイコナをひとつ」
とオーダーした。きっと常連さんだろう。
笑顔で一言、二言話すと遠くを見つめながら煙草をふかす。気品の高さが空気に乗って自分のカウンターにも伝わってきた。スレンダーな女性が吸うスリムの煙草。一つの作品になりそうな美しい光景だ。物憂げに遠くを見つめる。
何を考えているのだろう。不思議だが店内の時間はゆっくりとそしてゆったりと流れる。悠久の時を感じているのか。少し大げさだが、この不思議な空間に小1時間浸ると、自分もこの空気の一部になったように頭の中がゆっくりと回り始めた。
なんて贅沢な時間の使い方なのだろう。今まで大学の講義やアルバイトでそそくさと過ぎていった時間の過ぎ方とは比べものにならないくらいの重厚な時間がここには流れている。
ただ今はこの時間の使うわけでもなく、ただこの空気に乗っかって、そこら中を漂うだけだ。とてももったいない気がするけど、今は感じたことのないこの空間に戸惑っている。
今までの人生では学校という嫌悪する空間を早く駆け抜ける時間と楽しいことをしているときにあっという間に過ぎ去ってしまう時間の2つしか感じたことはない。自分のいる脇を優雅に過ぎていく時間を感じたことはないのだ。
異質な空間に興味をそそられながら、その日は家路についた。
また寄ってみよう。
ふと心にそう決めた。そしてこの場所をきっかけにかけがえのない人々との出会いが展開するとはそのときの自分には考えもつかなかった。
モラトリアム人間としての大学生活は1年が過ぎようとしている。この1年間で得たものは何だろうか。自分に問いかけると、「学ぶ楽しさと深夜3時に松屋に行ける自由」くらいなものか。そして、何の変化もないだろう2年目が幕をあける。
外は三月。季節は確実に変化している。自分は変わらないまま。片田舎のあの時の場所に立っている。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》