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戦略的モラトリアム【大学生活編】(27)
研究会から数週間が過ぎた。アルバイトと図書館、そして行きつけの喫茶店 Vintage との組み合わせでボクの毎日は成り立っている。8 月から 9 月に暦が変わろうとしているのに、暑さは何の変化もなく、ボクらをただ照らし続ける。エアコンの効いた快適な図書館の小さい小窓から外を眺めると、数人の学生がテニスコートにいる。それなりに青春を謳歌しているのだろう。
かくいう自分はどうであろうか。
中学・高校と不登校を繰り返し、挙げ句の果てには自主退学。何の因果か専門学校から大学へ。
そして 2 年目の夏。不登校になるわけでもなく、夏期休業中に大学の図書館で読書に耽っている。
何と奇妙な光景だろう。大学は自分の水に合っているのだろうか。特にすることもないとフラッとキャンパスに足を踏み入れたくなるのである。長期休暇だからっていうわけではない。日曜日だろうが、土曜日だろうが同じことである。不登校生徒らしからぬ行動を恥じる……わけではないが、極力誰かの目のつく行動は避けたいし、誰にも見られたくはない。ガリ勉野郎と思われるのは心外だし、勉強熱心だと目を細められるのも何かが違う。自分は他人に認められたくて、大学に通っているわけではない。
そうはいうものの、研究会での経験は確実に自分の何かを変え始めていた。それは始めのうち、小さな引っかかりだった。やがて自分ののど元に深く突き刺さった骨となり、今はボク自身の存在理由をも脅かす大きな出来事となりつつあったのだ。
大学にいるのは出来るだけ社会に出る時期を先延ばしするため。徴兵の猶予期間のようなものだ。それと一端の青春を謳歌するためだったはずだ。中学・高校と部屋の中に引きこもって、ティーンズがするような経験を一切放棄してきた自分にとって、20 代初めにそれを巻き返すことは最早人生のやり直しに他ならなかったはずである。
研究がどうとか、将来役に立つ学識とか、そういうものには一切興味がなかった。「大学生」という免罪符があれば全ての浅はかさに毛布をかぶせて、秘匿することが出来る。それをフル活用しているに過ぎない。
しかし、研究会前後の英語の資格試験や研究会での出会い・経験が確実に自分にとってこの状況をどう活用するかを再考させるきっかけとなっている。しかも、勉強や研究に対してもどう向き合うかにまで深く深く自分の脳内をかき乱し始めていた。これは単に「研究会の熱気にあてられた」というだけでは説明がつかないであろう。ほんのひとときの熱気ならとうの昔に冷めているはずである。研究会が終わってこれほどの時間が過ぎても脳裏に焼き付いた熱はまだまだ自分を揺さぶりそうである。
不登校の革命か?それとも覚醒なのだろうか?
学校というシステムに背を向け続けた一人の青年の中で何かが大きく変わり始めた。
冷えた風とはかけ離れた熱風は 9 月の秋空には似つかわしいわけもなく、後期の開講まで街中に吹きすさぶだろう。季節感のない大学生活はまだまだ終わらない、自分自身を除いては。
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