震災クロニクル3/13~14⑰

午後8時頃だろうか。連絡があり、今日から宿直はナシだそうだ。確かにここは避難所ではない。夜の見回りも不要だろう。市役所の職員も「今日はゆっくり休んだ方がいい」と言う。

相変わらずの危機的状況は変わらないが、そんな崖っぷちの水面にふわっと漂っているような気分だ。いつ決壊してもおかしくない激情を堰き止める無表情は周りから見れば平静を装っているように見えるのだろうか。自分の中身は一日のうち何回も大きく揺さぶられた。さっきだって、原発距離同心円の話の時も自分の感情は大きく揺らいだ。ここから飛び出したかった。しかし、それから先のビジョンは描けない。どこに流れていくのかわからない。結局のところ、自分はここに留まるしかない。どうしようもない夜は今日もやってきた。ニュースはベントやら放射線量だとか、原発情報が大半を占めた。テレビを見るのはやめよう。

シャワー室でシャワーを浴びた後、施設に施錠してその日は帰路についた。道路は警察車両以外は誰もいない。まるで街全体が外出禁止令を出されたような異様な雰囲気だ。所々にある自動販売機は赤いランプがずらっと点灯している。すべて売り切れだ。何も機能していない。信号は虚しく点滅して、交通安全を呼び掛けている。

誰もいないのに。

住民の半数以上はもう逃げたのだろう。今日、職員が打ち合わせをしていた話がたまたま耳に入っていた。

蛻の殻の街に点滅信号

凄まじく寂しい風景だ。運転席からその光景を眺めると、涙が込み上げてくる。どうしてこうなってしまったのか。

アパートに戻ると、駐車場には自分の車しかない。やはり、もう避難したのか。これ以上ここに留まるのは無理なのかもしれない。

先の見えない葛藤と闘いながら3月14日は暮れていった。


翌日、7時にはもう仕事に向かっていた。施設の鍵を開け、市役所の職員が来るまではとりあえず待機だ。

施設を見回っても何も変化がない。当然だろうが、少し安心した。ここまで震災による被害が深刻になると、次は治安が悪くなることは目に見えている。コンビニのATMが荒らされたなんてニュースはちらっと聞いていた。ましてこの施設は物資庫だ。何を盗られるか分からない。

やがて、職員とスタッフがちらほら集まり始める。どの顔も相当疲弊している。おにぎりにようやくありつける。遅めの朝ご飯を貪った後、施設の被害状況を調べ始めた。

こんなことをして一体何になるんだろう。

自分の仕事は急に無意味なものに思えて仕方ない。本当はもっとしなければならないことがあるのではないだろうか。自分はこんなことをしていていいのだろうか。昨日の夜に生まれたこの葛藤は日々の自分時間を確実に奪っていった。

職員が出入りする度、これからの見通しどころか、今夜の打ち合わせも出来ていない。暗中模索の対策本部である。きっと連絡体制が整っていない。同じ情報が何度も錯綜した。

そんなもめ事をよそに自分は黙々と書類を片手に天井に入ったヒビを記録していた。

そして、衝撃の午前11時がやってきた。



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fal-cipal(ファルシパル)
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》