震災クロニクル3/13⑬
施設に戻ると、ガソリン満タンの車をそっと駐車場の片隅に置いた。事務所には炊き出しのおにぎりの残りが机に残っていたので、取り合えずそれを口に入れた。少しだけ食べたくなったのだ。食欲はさほど戻ってはいなかったけれど。
もう外から帰ってきたら上着をはたいて埃を落とす作業が、違和感を感じないまで見慣れた光景になっていた。勿論マスク姿もこの街ではすでに常識だ。
日常のルールがどんどん変わる。
街から洗濯物が干してある風景は消えた。
ベントが原発で始まって以来、市内の人間は明らかに消えていった。
コンビニは閉まり、開いている店はない。
閉まっているガソリンスタンドに朝から並ぶ。どこから情報をいれたか、給油できるところを聞き付けて、朝から並んでいた。その列が一時間足らずで長蛇の列に変化する。結果として、品切れになればトラブルが起こる。
「次の入荷日は未定です」
ガソリンスタンドはこの決まり文句を言って短時間で店を閉める。
原発が原因で、全ての物流がストップしかけていた。あるのはドライバーの個人的な意思で
「市内に入ってもいいよ」
と言ってくれたときだけ、物資がこの街に入ってくる。しかしそれは、空のプールにバケツ一杯の水を入れるがごとくであった。
事務所の書類整理をして、ふと外を見ると雪がちらついている。まだ寒い3月の中旬、これほどの不安と絶望の状況は勿論体験したことがない。
これからどうなるのか……
鬱蒼とした頭の中はきっと何をしても晴れないだろう。
理事長の息子夫婦は逃げた。
スタッフの女性もほぼほぼ逃げた。
そういえば今朝の引き継ぎの時、とある女性スタッフが出勤してきた。逃げたと思っていたので意外だったが、彼女は旦那の話をしだした。
沿岸部の遺体回収から帰ってきた旦那は
「……助けられなかった……」と何体もの遺体を泣きながら運んだらしい。もちろん子どもの遺体も。想像も絶する惨状だったらしい。棒で泥を突っついて遺体を探したり、足場が悪いところや水が引かないところは、水を抜く作業が完了するまで、その惨状を放置しなければならない。
心が折れる……奥さんである彼女は旦那を寝かしつけて、自分は出勤してきたとのことだった。
給油から帰ってきたら彼女の姿はなかった。さすがに避難したのだろう。それも仕方のないことだ。
50代の男性スタッフは妊娠中の娘をいち早く県外に逃がした。家族も逃がし、自分だけがこの街に残った。
今この街に残っているのは単なる残りカスか。それとも覚悟を決めた義士か。または生け贄か。
僕の心にある最後の手段をこの時点で使おうとはまだ考えもしない。しかし、これからの状況でどう変わるかは全くの不明で、状況は好転しないまま、直ちに影響はない深刻な状態は徐々に悪くなっていったのである。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》