戦略的モラトリアム【大学生活編⑨】
日付 : 9月初旬。どうなってんの?この暑さ。
エヴァンゲリオンの時代設定か?
大学も後期が始まろうとしているあくる日。スーツをビシッと決め、チャリで(笑)仕事場に向かう。そう、自分は今……一応「先生」だ。
うん。とても不似合いなのは分かっている。それでいてどことなく自分自身が嘲笑の的になっていることも。
不登校で学校のすべてが信用ならなかった。そんな自分が今やそれと似た職種だとは。本当に笑ってしまう。
ただ、予備校に通っていた経験から、塾や予備校の先生は学校の先生とは似ても似つかない人種であった。自分とって、予備校の先生は畏敬と畏怖、そして、歯に衣着せぬ物言いがたまらなくカッコよかった。
そう、それはおそらく「尊敬」なのだろう。自分の頭の中に詰め込まれているのは予備校の授業とそのなかで飛び交った怒声。怒りながら教えていた先生も、笑いながら教えていた先生も、みんな必死だった。大検を受験して、大学入試には失敗。そんな自分でも今を成したのは予備校の授業が大きかったと感じている。
自分はそういう先生を目指そう。下手な導師気取りで倫理観をひけらかす学校の先生なんてまっぴらだ。
結局のところ、学校の先生なんて自分大好きのマスターベーション野郎ばかりだ。そうではなくストイックに物事を追求していく予備校の先生の方が遥かに「先生」らしかった。少なくとも自分にはそう思えたのだ。
いつものように塾に到着すれば出席確認と宿題の答え合わせ、解説。そしていつものように国語の授業が始まる。中学2年を受けもち、変なあだ名をつけられた。授業が終わると見送りに出て、深夜に帰宅。
来週の予習とテキストの教材研究を軽くやって、モラトリアム大学生に戻るのだ。とにかくモラトリアムな大学生活に刺激的なスパイスと不思議な生き甲斐のようなものを感じて、毎日が流れるように過ぎていく。
水洗トイレのようにどーっと流れて毎日が過ぎていった。
そうやってほんの3mmだけ大人になって大学一年の後期を迎える。社会人に半分浸かりながら、少しだけ自分の過去と向き合えた、そんな夏季休業がもうすぐ終わる。
成績表は上々。
それなりに一生懸命やったことに満足し、久しぶりの実家からの電話に胸を撫で下ろした。もちろんそれは成績のことだけであったけれど。実家からの連絡ほど余計なものはない。相変わらずのモラトリアムを楽しむために排除するものは忘れていない。自分の根底は何も変わってはいないことを再認識した。
それが「人生の乗り換え切符はそう簡単には手に入らない」
ガチンコというテレビ番組でいっていた台詞が頭をよぎった。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》