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復興シンドローム【2015/04/01~】⑫

20才の青年がいた。
寡黙でいつも真面目だ。
性格は・・・・・・話さないので、よく分からない。
生まれつきのアトピーで、宿泊施設の共同浴場には入れない。

「個別のシャワーだけにしろ!きったねぇなぁ」

心ない隊員や作業員から、どやされている。早朝の集合場所でそんな一悶着があると、卿もまたそれぞれの持ち場に向かう。その日はたまたま彼と自分は同じ現場だった。


「〇〇君はどこ出身なの?」

車内の沈黙をかき消すように、自分が尋ねた。
「仙台です。家族もそこにいます」
つっけんどうな言い方だが、そこまで敵愾心はないようだ。

「わざわざ福島まできて仕事してるなんて、すごいね。出稼ぎ?」

「はい。一家の大黒柱なので」

彼は少し、はにかむ?

「うちは兄弟が多くて・・・・・・」

会話はそこで切れたが、何か訳ありであることは声のトーンから察することができた。


検問所での仕事。今日は日曜日なので、通行量自体が少ない。除染・解体現場もだいたいのところが休みだ。どんよりとした曇天の隙間から日が射している。ゆっくりと雲が流れ、向こうには小さく飛行機が雲を率いて空に浮かんでいる。

ブーン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
遠くから何かの音が響いている。まっすぐに続いている国道の向こうまで、小さく見える自動車は一台もない。僕ら5人の警備員だけが、ただ黙って突っ立っている。

「うち、6人兄弟なんですよ」
「え!そんなに?」

急に彼が話しかけてきた。会話に渇望していたかのごとく、それは次から次へと口から溢れ出だした。
「親父が入院中で、来週手術なんですよ」

「仕事は?」

「親父はしてないです。前は大型乗りやってたんですけどね。身体悪くして今は辞めています。治ったら、また働くつもりらしいですけど・・・・・・」

「じゃあ、ここの給料は?」

「親父の口座に入ります。自分はそこから生活費を貰うぐらいで・・・・・・」

しばしの沈黙。

「母さんは働いているの?」自然と自分の口から出てくる質問

「今は何もしていないんじゃないですか?分からないですけど。末っ子はまだ小さいんで」

沈黙。

「○○君って週どのくらい働いているの?」
「月25勤ですかね。」

おそらくゆうに35万は超える。その仕事の全てが特殊勤務手当付きの「居住制限区域」「帰還困難区域」での業務だ。もちろん放射線手帳は持っている。ガラスバッジももちろん・・・・・・。

毎日の労働時間が増えれば増えるほど積算放射線被曝量は増えていく。
ものすごい罪悪感突然襲われた。福島の原発事故が若い彼にまで危険という十字架を背負わせている。もちろんその言葉に「手当」を付けて、金銭という魔法にかけながら、彼はこの呪縛から逃れられなくなっていくのだ。

「いやぁ、ここの仕事があって、ありがたかったですよ。普通の現場じゃ安いですからね。楽だし稼げるし言うことなしですよ」

くったくのない彼の笑顔がやたら印象に残る。そう、彼はこの状況を幸せに思っているのだ。

彼は本当に幸せなのだろうか。
父親が倒れ、息子の彼が稼がないと一家は暮らしていけない。そして、原発事故処理の仕事の一部を喜んで引き受け、毎日命を削っているのだ。

ふと、自動車が検問所に近づく。

「すいません。通行証と身分証確認よろしくお願いします」
光沢のあるレクサスから、ズンと通行証を突き出すサングラスにスウェットのガラの悪い中年。
・・・・・・避難民だ。

後部座席には妻と娘とおぼしき2人。
嫌そうに身分証を出し、顔を横に背ける。
名簿と照合しようとすると、

「触るな。汚いなぁ」

20才くらいの娘のような女性か急に怒鳴った。

「はい。すみません」

何でこんな理不尽なことで怒られるんだろうと感じながら、そそくさと通行証を返す。

「ったく、いつまでこんなことやってんだよ。自分らのウチに帰るのにおめえらの許可なんかいらねぇからよ」

悪態をさんざんついて、その車はアクセルをふかしながら、通過していった。


20才で家族のために放射線バッジを付けながら働く20才。
被災地に以前住んでいて、高級車の後ろでふんぞり返っている20才。

ボクの中で今までの価値観がゆっくりと、そして確実に変わっていった。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》