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受験はフライングの許された競争である

大学入試は調べれば調べるほどたくさんの小道が細分化されて、大学入学へとつながっている。

AO入試

公募制推薦入試

資格者推薦枠入試

同窓生子女入試

社会人入試

編入学入試

学士入学

そして、指定校推薦

それに加えて、メインストリームである

センター試験と私大入試、国公立大2次試験

いつから準備すればいいのだろう。私の地元は非常にのんびりした地域で、三年の夏休みになっても自称進学校の学生は意識しない生徒が少なからずいた。指定校推薦で楽に行けるところに流されてもそれを許容できるほど進路についてのこだわりがないものここのマジョリティなのだろうか。

いや、ここで地元のディスはやめておこう。

いつ受験を始めるか。

その答えは明確にはない。しかし、いつでもいいのである。ということは自分だけ準備をしていても構わない競争なのだ。

自分はこの考えがたまらなく好きである。

それはフライングの許された競争だから。

こんなフェアな競争が社会のどこにあるだろうか。つまりはやったもん勝ちの世界。

18からの人生を主体的に考えられる1センチの背伸びが大人への脱皮をさせる。後悔しない受験をするためには勉強を含めた情報収集や的確な知識が自信と確信を生む。人によっては過信と誤認を生む場合もあるが。

たくさんの助走と練習を繰り返そう

周りから後ろ指をさされようとも

付き合いが悪いと揶揄されようとも

足を引っ張るヤツはどこにでもいる
そいつらは君には関係ない。君の人生の主人公は君なんだ。

昔ホイットマンは次のように言ったそうだ。

わたしにも、誰にも、あなたに代わって道を歩くことはできない。自分の道は自分で行くほかないのだ。

誰のためでもない。ただ自分のために未来を描こう。



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fal-cipal(ファルシパル)
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》