戦略的モラトリアム⑲

二〇〇〇年 五月中旬    天気 曇り  場所 寮と専門学校の往復
精神状態 デジャヴ

新生活が始まって数週間が過ぎた。僕の中では特に何の問題もなく毎日を過ごしていた。過ごすって言うよりも「垂れ流す。」って感じがより正確に場面を表しているのかもしれないな。でも僕は、これから何をするでもない一日、一週間、一ヶ月、一年を送ることになるだろう。それは別に何をするでもない淡々とした作業……。
休みの日は部屋で音楽を聞いて、ショッピング、電車で東京へ行って映画とブラブラ散歩。そんな日々を送ることになるだろう。

それは、どことなくあのときに似ている。

胸が痛い。

一人暮らしを始めてからというもの、僕は極端に感情の起伏が小さくなっていた。だから、極端に不愉快になることもなかったし、特別、嬉しがったりすることもなくなっていた。
 そんな凹凸のない毎日は、僕をちょっとだけ素直にしたんだと思う。満員電車の中でシルバーシートをどこかのおばさんに譲ったことが僕のステータスになっていたんだ。
 他に変わったことといえば、夜食を二時頃買いに行くことぐらいか。僕にとって深夜のコンビニってのは、講義中にコーヒーを飲むことにとてもよく似ていた。それゆえ、何も食べたくない日でも、決まって二時になると、コンビニに出かけたんだ。それが当たり前になって、深夜徘徊が習慣になると僕の人間性はまた一歩、世界と乖離することが耳で聞き取れた。

 数週間過ぎると、僕の一人暮らしの順応性は驚くほど早く心に根ざしていた。ホームシックになる寮の連中をよそに僕はカップヌードルのふたを誇らしげに閉じる。そんな僕には故郷なんて実質的には無かったんだと思うんだ。
 おそらく日本一、一人暮らしを順調に始められた僕は、ゴールデンウィークになっても帰郷せずに、もぬけの殻となった寮に残って棟の掃除を無償でやっていた。それゆえ寮長とはとても親しく話をしたんだ。奇しくも実家では手伝いをしなかった僕は、今、共同浴場のタイルをブラシで磨いていた。奉仕的な精神からではなく、ただ時間を埋めていただけだったんだけどね。そんな本心は誰にも明かさずに、寮一の働き者となった僕は、それなりに寮内での信用を得ていった。
 夜になると、どこかの部屋で雑談などをしながら、時間をつぶし、コンビニに行ってから僕の部屋に戻る。寝るのは大体三時前。そんな時、決まってやっていたことは、ラジオをつけっぱなしで寝ること。どうしてかは分からないが、一人暮らしをはじめてから、僕は極度に無音を恐れていた。
 
 そんな訳で、地元を離れるときに、一人暮らしなんかできっこないって辛辣に言われた親の鼻をあかしてやった僕は、もはや誰も信用できなくなっていたのかもしれない。唯一、自分の感覚だけを頼りに手探りで暗がりの人生を弄っていた。
 
 夜、風呂あがりにひんやりとした部屋に戻る度、今を確認するようにつねった頬は熱を帯びて赤らんでいた。
 コンビニへ行く最中に見上げた夜空には満天の星が都会のネオンにかき消され、身を潜めていた。僕の軽快な足取りは、より一層軽くなって、アスファルトに靴を打ちつけていた。
 

それからしばらく経って、専門学校では多くの人と話し、寮でも多くの人と触れ合ったけど、予備校のそれとはまったく違っていた。ゆえに彼らの匿名性は僕の心によって守られたわけである。
 かといって僕は予備校のことを振り返ろうとはしなかった。どうしてか分からなかったけど、時間を巻き戻しされるのは、いろんなものが付帯的にくっついてきて辛かったんだと思う。そこにはどうしようもない後悔と自責の念が渦巻いて、僕の意識を根こそぎ刈り取っていってしまうような恐怖感がそこにあった。
何のことない一日がまた終わってしまった。僕は後悔しなかったが、ちょっとした日常の澱みを感じながら、ラジオをオンにして布団にもぐりこみ、蹲りながら浅い眠りについた。ラジカセの明かりでぼんやりと映し出された天井のラインはとてもメランコリックだった。

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fal-cipal(ファルシパル)
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》