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祖母の死

2年前の1月。祖母は死んだ。私は祖母の死について誰にも話さなかった。話したくなかった。話してしまうことによって他者から祖母が死んだと認識されることが嫌だった。そうしたらもう一度祖母が死んでしまう。そんな気がしていた。
私は未だ祖母の死を引き摺っている。2年が経ったのに。何故ならそこには強い懺悔があるから。

その年の秋。私は通っていた高校に行けなくなった。そこから1ヶ月以上経った頃、気づいたら外にも出られなくなり始めた。それを見かねた母と祖父母から年末は忙しいから暇ならと祖父母の営む八百屋の手伝いを頼まれたのが発端だった。
朝8時頃に店に行き、祖母が担当していたお惣菜作りのアシスタントをすることが多かった。それに祖父は配達やら色々で基本的には店の外でする仕事が多かったから必然的に店の中にいる祖母と関わることが多かった。祖母は優しかった。午前中の昼前までがピークで忙しかったが、それが過ぎた午後は私に休息をくれた。祖母はずっと店番、事務、その他色々な仕事をしていたのに。私は休憩していいよと言われるがままに再び忙しくなる夕方まで寝ていたり、本を読んでいたりと好きに過ごしていた。

ある日惣菜を作っている最中に
「昨日は忙しくて風呂にも入らず寝ちゃった。」
と祖母に言われたとき私はどんな返事をしたか覚えていない。ただ大変そうだとしか思えていなかった。

12月24日の金曜日、祖母とケーキを食べた。クリスマスイヴだから。ヤマザキの色々な種類がホールになったアソートケーキ。「明日はクリスマスだから遊びたいかも。」と言った私に母と祖母は笑って「行ってきな。」と言ってくれた。忙しいのに。本当はその日も手伝う気だった。「いいの?」と何回も言ったけど「平日手伝ってくれたんだから行きな!」と言ってくれた。

12月25日土曜日、少し栄えたところに行って、イルミネーションを見て、食べたかったアイスを食べた。

12月26日、祖父から母に電話がかかってきた。「祖母が頭が痛いと言って起きないから救急車を呼んでもいいか」と。母は「すぐに呼んで!」と祖父に伝えそのまま祖母のところに向かっていった。祖母はくも膜下出血だった。誰もいない店で店番を続けた。駄目になっちゃうから食べてと言われたクリスマスケーキ、祖母と食べたケーキ、味がしなかった。お願いします神様祖母を助けてくださいと祈り続けた。無駄だったけど。

祖母は手術をした。
一度頭蓋骨を外して手術をして、脳の腫れが治まったら頭蓋骨を戻して祖母の回復を待つらしい。
だけど祖母の脳の腫れは治まらず、頭蓋骨をずっと戻せなくて。
そのまま容態が悪化して亡くなった。
母と祖父はなんとか別れに立ち会えたらしい。
皆まさか本当に亡くなるとは思っていなかったから私や父と弟は病院に連れて行かなかったのだと思う。これまで別れたことのある人は皆長寿で、80歳以上で亡くなっていたから皆それくらいで死ぬと思っていた。
73歳、私にとっては早すぎる別れだった。

救急車で搬送されたとき、祖母の血圧は200以上いっていたという。元々高血圧の人だった。薬を飲んでいた。祖母が倒れた日の付近、祖母は忙しくて高血圧の薬を飲み忘れていたのでは?という話になった。


祖母が忙しいのを知っていた。
疲れているのを知っていた。
普通の仕事に私の面倒まで見ていた。
なのに私は自分の楽しさを優先で遊んだ。
祖母の手伝いをほんの少ししただけで役に立っている気になっていた。
まず、私が学校に行っていればこんなことにならなかったかもしれない。
祖母が死んだのは私のせいだ。


祖母にとって私は初孫だった。祖母には娘が2人いる。長女である母、そして次女のおば。だがおばは割と重度の障害者で結婚することも子供ができることもない。後に私にとっての弟、祖母にとっての2人目の孫が産まれるが、私のことはきっと初孫でもあり、最後の孫だと思っていた部分もあるだろう。私は祖母にとても可愛がられた。たくさんのところに連れて行ってもらった。たくさんのものを食べさせてもらった。たくさんの話を聞いた。恩ばかりを貰っていた。何も返せず、負担だけ与えたまま死んでしまった祖母。ごめんなさい。

祖母が死んで1番悲しいはずの祖父や母が泣かないのに私だけが泣いていた。みっともなかった。私のせいなのに。

花が好きだ。
祖母は花を育てるのも押し花にするのも好きだった。
美術館が好きだ。
祖母はよく美術館に私を連れて行ってくれた。
旅行が好きだ。
祖母は若い頃給料が入ったらとにかく旅行することを楽しんでいたらしい。
調理師の資格を取ろうとしている。
祖母は調理師だったし料理が上手だった。

私の好きなものなのか祖母が残してくれた思い出を手繰り寄せているのかよくわからなくなってきた。

大切な人なのに。
私のせいで死んだ。

死にたい、死にたいと言ってる私が死ななくて祖母が死んだのも私への罰なのだろう。
全て私のせいだった。

誰にも言えなかった。
責められることも怖かったけれどそれ以上に「あなたのせいじゃないよ」と人に慰めさせてしまうことが許せなかったから。

これまでずっと祖母の話をするたびに心の穴に冷たい風が吹くような感覚があって涙も出てくることが多かったけれど、最近はその感覚が褪せてきている。焦った。祖母を忘れるわけじゃない。わかっているが、この出来事も悲しみも苦しみも全部忘れようとしている自分を許せない気持ちと、ようやく立ち直れているのかもと希望を持つ自分でわけがわからなくなった。だからこうして今思い出せることを書いて整理をしてみた。
もっともっと未来の私が読んで過去を思い出す手助けになるように。

ばあばへ
亡くなった人を思い出すとその人のところに花が降るという話があります。それで言ったらばあばのところには結構な花が降っていると思います。多くて困っているのなら押し花にしてまた作品を作ってください。私がそっちに行ったとき必ず全部の作品を見つけて素敵だねって言うから。私がばあばのように天国に行けるかはわからないけれど。また会える日を夢見ています。

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