趣味巻学問編-『好きな人を食べたいと思う心理』(G/R18要素あり)
はじめに
恋愛には様々な形があるが、一部では好きな人を食べたいという気持ちに発展することもある。このことについて哲学してみる。
考察
個人的には、例えばハグ・キス・セックスのいずれも、確かに人の心を満たさないと考える。
①深さ……ハグは体くらいが触れ合い、キスでは相手の内部に近づいているが、ハグに口の内面的接触が追加されただけである。セックスをすると、おおむねパズルのように体を合わせる。ハグより、キスよりよっぽど相手と深く交わっているが、まだ深さが足りない。なにしろ、この三つという代表的な行為では相手をとどめておけない。
②確実性……そもそもハグやセックスはしたところで、相手が主人公に気持ちを寄せ、好意を固めるに確実でない。俗のヤリ捨てをされ得る上、いずれも相手と触れ合うに深さを持たないと感じる。
過去に述べたかは定かでないが、私は個人的に『恋は所有欲/愛は共有欲』といった考えを持っている。相手を自分のそばに置き・従わせ・名前を付けることが所持欲/恋愛に基づいている。
その考えに基づくと、恋愛では相手をなるべく密接に持ちたい、確実に自分の持ち物としたいという欲望が働く。とあればハグやセックスは私物化(ここでは単に自分の持ち物となるようにすること)の手段になるものの、満足のいく結果は期待できない。
③同一性……加えて拘束や薬物などを相手に打ち込むものもある。違法性は考慮しない。これらは対象の言動を鈍化させるのに十分ではあるが、純粋な彼氏彼女を求める者にとっては不十分である。薬物を挿した彼(女)は、成分や因果としてある面で歪んだように見え、失敗作となってしまう可能性が高い。またただでさえ薄い相手からの好意が、ますます薄くなってしまう危険性もある。
結局、恋愛/所持欲では相手との関係に「深さ・確実性・同一性」が求められる。その三つを解決しうるのが、『好きな人を食べる』ことである。
セックスなどは物理的な触れ合いにおいて表面的であるが、対照的に相手を食べることで、段階はより内面的になる。セックスでは肌や性器同士が触れ合うのに対し、食べるに相手の血肉や髪、細胞を口から取り入れる。曲がりくねった人体の筒、その節々からまた細胞らが主人公の内部へと渡り、各細胞に入っていく。
酷な考えではあるが、相手を食するには生きたままが望ましい。時機として殺害や、葬式の後のいつかに相手を食することを考えるが、例えば前者では死後という矛盾が生じる。「生前と死後の人間は同一か」というものである。葬式の後は骨になり、墓や寺、自然のいずれにも帰す。ここでは火葬における摂取可能な彼(女)の成分であったり、付属する土などの成分に対して不十分であると考える。欲しかった血肉は焼かれ、残った骨にも土という不要なものが付いていては、獲得する成分としてあまりにも不純である。
加えて、相手の可食部分を実に適切に食べていれば、主人公はおそらく何度でも相手の成分を味わえる。拘束の下であればその拘束から不純が生まれ得るが、合意下の、例えば噛み癖ならば比較的円満に彼を得られる。
ちなみに、ここでは深さと同一性を満たしている(ように思われる)が、その同一性と同時に「確実性」も満たしていると思われる。
意見
これらの言動は、高い確率で違法であり、一般的でない関係性である。そうして一般人が受け入れないような概念に食性愛(ここでは、相手を愛のあまり食べて体内に取り入れること)はあるが、本来一般性は人の好悪やそのためのルールから成り立つものである。主人公の想いのためにもルールは聳え立つが、主人公によってはルールと人の意志が成り立たないことがある。
ここで、二つの観点によってルールとパートナー亡者の立ち位置は変わる。
(1)主人公本位……食性愛は、主人公とそれ以外の人間関係を考えると、極めて迷惑であり非人道的な行為となる。しかしそれをも上回って主人公は相手を手に入れたい……そういった場合は欲求に従えばいいのではないだろうか。
時も、物も、現象も。すべてが不可逆である。積み木など、確かに似たような形には積み直せるが、まったく同じ形には直せない。相手の同一性は、主人公の愛の同一性よりはるかに重要である。脆く、唯一の相手を自分自身の核に一度でも取り入れるといい。
(2)相手本位……食性愛とは反対に、相手をどちらかが、または同時に死ぬまで愛する方法がある。それは一般的に愛することである。
会い初めて、話し合っていき、時には互いの不満を晒す。接触はいつしか内密になっていき、その延長線上に夫妻となる。やがて子どもを持つ。私にとっての一般的な恋愛でもあるが、いずれにしてもこれは食性愛とは異なり、物理的には表面的である。また他の人間に寝取られ得ることからも、深さと確実性は期待できない。
しかしある面では、二人で幸せに過ごしていくことができる。拘束、もとい束縛や薬物を使わず、相手を自分のものにできるのだ。つまり成分や肉体の同一性を失わない。
深さでは確かに食性愛が最上だが、悲しくも、細胞の新陳代謝がある。最奥で愛したパートナー片は、やがて主人公の中で全て失われていく。不可逆の相手を食べて愛することこそ、真っ先に相手を不可逆にすること他ならない。
まとめ
やはり、一般的に愛するか、非一般的のどちらが着実に彼を愛せる方法なのかは分からない。一般的な方が、時間を重ねて生きることによって互いの愛を深められ、しかし途中でどちらかの心が移り変わってしまうかもしれない。
非一般的ならば、一般的のそれと比べてはるかに深く、相手を自分の中に入れて私物化することができる。しかし食べてしまった彼(女)は、二度と戻らない。
私は、この二度と戻らないという点から、やはり相手と普通に過ごしていきたいと考える。この食性愛に対して、『好きな人に食べてもらいたい』といった逆の被食性愛も存在することが考えられるが、これについては次回、時間等あれば考察していきたい。
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