趣味巻学問編-『全きは無の中に、全ては有の次に』
はじめに
言葉の最小単位は単語である。世間で多く述べられているこのことから、私は『有と無がわれわれの最終単位である』と、『全きは無の中に、全ては有の次に』の二つの言説を考えた。これらについて以下に考察してみる。
有と無
はじめに有と無の二つについて考えてみようと思う。
私は全ての最終単位が有と無であると述べた。つまり生命体や物、現象などの「全て」は有るか無いかのいずれかを行ない、また属することになる。
難しい所は、この全てに消えたもの・無いもの・これから生まれ得るものが含まれることである。いま有るものと、それ以外と言えば分かりやすくなるだろうか。
言い換えると、「全て」が包括する範囲は、恐らく有と無とが限界である。ゆえに私は有と無をわれわれの最終単位と称した。
全きは無の中に
「全き」とは完全を指す¹⁾ ²⁾。そうすると「完全とは無の中に(ある)」と述べることになる。完全は、一つも欠けることなく満たされていることを指す³⁾ ⁴⁾。目標の進行や、願いの成就能否など様々な例が挙げられる。
私はこの願いの成就能否を例に挙げて、全きの性質を説明することにした。
ある所、神がいた。神であるからに性質は完全と考えられるから、例えばどのような願いであっても、それらは叶えられる。その神にある生物が、「私の願いを何も叶えないでください」と願った。
ここで神が何もせずにいると、確かに願いは何も叶えられなかったことになる。しかしこの叶ったことは、生物が願った「私の願いを何も叶えないでください」に反する。
矛盾は、完全なものを不確実にし、また完全であるという周りの認知に訴えてくる。
この例をはじめとして、存在するものはいかに欠点を持たないと説かれても、その完全を破られ得ることがわかる。
ではその存在するものに対して何が完全であるか。それは無であった。
一つのものが実在するからに、それは何かを呈し、是非や能否がその一物《いちぶつ》とそれ以外のものによって考えられる。しかし無へと私たちが能否を問いかけても、そもそも一つのものさえ存在しないのだから、その答えは知り得ない。何か基準を満たしているかどうかはともかく、欠けていることさえ分からないその状態は、欠点が見当たらないという点では完全である。
全ては有の次に
「有と無」にて、全てでは今あるものと、それ以外のものを含むと述べた。それ以外のものには消えたもの・無いもの・これから生まれ得るものが該当する。この今あるものとそれ以外のものは、また別の言葉に言い換えることができる。「われわれに認知されているもの」である。
この認知されているものという「全て」の割合は、今あるものとそれ以外のもののうち、後者が大きく占めているだろう。それ以外のもの、と無のものを定義してしまえば真に全てを認知できるようになる。例えば無の中で、今はいないと思われるニホンカワウソを認知できる。
何でも叶える神のパラドックス(自作)では、畢竟《ひっきょう》存在することによってその矛盾が言われ得るとしたが、この存在を認知の言葉に言い換えても、同様にパラドックスから矛盾への道理が通じることがわかる。
このことに基づくと、先程述べた有と無の全ては認知できることから、また不完全になり得ることがわかる。このことは「全きは無の中に」と矛盾する。
まとめ
有と無では、今あるものと、それ以外のもの(消えたもの・無いもの・生まれ得るもの)に分けたならば全てを認知し得ると述べた。このことは「全きは無の中に」で述べた無の完全さに違反し、結局完全なものが認知できないことが分かった。全ては不完全である。
そもそも、「全きは無の中に」では無を定義していなかったため、のちに考えたその定義によって完全性が剥奪されるのは当然であると言える。
参考文献一覧
1) makune(2024-06-15). 「まったき【全】」. 日国友の会. https://japanknowledge.com/tomonokai/card.html?12&id=171342&kw=まったき#, 2024-09-01.
2) weblio辞書 国語. https://www.weblio.jp/content/全き#goog_rewarded, 2024-09-01.
3) コトバンク. https://kotobank.jp/word/完全-470543#goog_rewarded, 2024-09-01.
4) 「完全(かんぜん)とは? 意味・読み方・使い方」. goo辞書. https://dictionary.goo.ne.jp/word/完全/, 2024-09-01.
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