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■おやすみなさい。良い夢を■

 ひどく寒く、ひどく曇った日のことだった。
 狭い谷の、かろうじて馬車1台か2台が走れるような道で、2人の兵士が己の武具を最大限動員して敵兵を押し留めていた。
「あーくそ、こいつらしつこいったら……!」
 曇天の下、赤黒い血飛沫とともに、敵兵の首が飛んでいく。
「何が何でも王子殿下の書状を奪いたいってことだろ」
 爆裂音が響き、後方の敵兵が吹っ飛んでいく。2人には予め設置していた地雷が機能したということはわかった。
「気取られた時点で負けってやつじゃんそれ!」
「そうさせないように俺たちで踏ん張ってんだろうが」

 長い間、帝国と連合国は戦争をしていた。
 帝国の先の帝王と連合の先盟主である女王が始めた戦争は、子の代孫の代まで続き、両国は疲弊のさなかにあった。
 そんな状況を打破しようと、孫の代……つまり、現皇太子と現王太子が長い戦争に終止符を打つべく停戦協定に向けて動き出している。
 帝国兵のエドとフォルスが護衛し逃した馬車に、連合国側の使者と王子の書状が搭乗している。

「くたばれ!」
 同じ帝国製の甲冑を着た敵兵の大型斧をフォルスは掴み上げて思い切り敵兵に投げつける。
 よく手入れされた大型斧は運悪く射線で突撃の構えを取っていた敵兵の甲冑をかち割り、速やかに絶命させる。

 狭く深い谷の険しい道を選んだのも、馬車をわざわざ帝国風に仕立てたのも、白昼堂々任務を決行したのも王太子の書状を皇太子に確実に届けるためだ。
 しかし、帝国にも連邦にも停戦を望まぬ野心家は大勢いる。どちらから攻撃されてもおかしくはない。今回はそれが帝国側であった。それだけの話だ。
 どこからか情報が漏れたのだろう。味方の紋章を持つはずの馬車を的確に帝国の部隊は襲撃した。

 帝国兵であるエドとフォルスは皇太子が擁する師団に従軍する精鋭だ。
 終わらぬ戦争で私腹を肥やす政治家どもが差し向ける雑兵など束になっても叶わないほどには実力がある。
 この襲撃もある程度は見越した上で、この場所で迎え撃つことを決めたのも、迎撃用の罠の準備を進めたのも両人であった。

 鈍い音とともにエドがよろめく。甲冑にはいくつかの銃痕が見えた。遠目には銃兵の姿がある。
「くっそ、お返しだ!」
 エドは岩場の影に隠れて銃撃を逃れると、その場に張られていた細い糸ををナイフで断ち切る。
 糸に繋がっているのは谷の中程に仕掛けられた爆弾を起爆するための重しで、程なく爆弾が爆発し岩の雨を敵兵に降らせる。

 ぼおん。と大きな音がして、降り注いだ大きな岩が吹っ飛んだ。
「砲兵までいるとはね」
「想定してたより数が多いな!」
「そんなこたーわかってたでしょうよ、なんだってそんなに戦争を続けたいかは知らないけどさ!」
 フォルスがエドのそばに転がり込み、もう一つ隠していた糸を断ち切る。

 遠くから爆発音が響き、地響きが遅れてやってくる。
 反対側からも同じような爆発音が響いて、悲鳴と怒号が聞こえてきた。
「これでどっちも道は塞いだ」
「はいはいっと。そら、おまけだ!」

 エドが道具袋から小型の爆弾の信管を抜いてぶん投げる。
 罠を設置する際に余った予備のものだ。

 景気よく爆発物を投擲しながら2人は敵兵たちを待ち構える。
 エドもフォルスも、この任務についたときからもう祖国の土を踏むということは諦めていた。
 停戦協定を邪魔する腐れた連中に吠え面をかかせたい。それが和平の道への礎となれればそれ以上言うことはない。

「踏ん張るぞ。死ぬなら敵も道連れだ」
 予備の小型爆弾も、罠も尽きた。
「わかってる。それに……」
 敵兵は2人の想定の倍。それでも、引けない、負けられない。
「どっちかが倒れたら?」

「「全部ぶっ殺してそれから死ね!」」

 エドとフォルスは吼える。

 そうして2人は戦って戦って。
 暗く深い谷に夜の帳が下りる頃、ようやっと静寂が訪れた。

「ぁーーー……」
 ほとんど動かない体を無理やり動かして、エドはフォルスの倒れているところまで這っていく。
「まだ生きてんのか……」
 血の気は完全に引き、周囲は彼女の流した血で赤黒く染まっていた。
 浅く呼吸はしており、かろうじて生きてはいるようだが、出血量を考えると死はすぐそこにあった。

 仮に連れ帰れれば助かったかもしれなくとも、エド自身もすでに気力だけで呼吸をして動いている有様であったので生還の望みはない。
「フォルス、おい……おきろよ……」
 エドは一縷の望みをかけてフォルスに声をかける。
 お互いに死にゆく身とはわかっていても、一人で死ぬにはあまりにも寒かった。
 はじめのうちは微動だにしなかったフォルスだったが、何度も声をかけられるうちに、こぷりと血の塊を吐いて口を動かした。
「げぽ……うるさい。おまえ生きてたの」
「なんとかな……」
「お互い、死にかけってやつか」
 小さく小さく、呼吸を繰り返しながら二人は寒空を見上げる格好でぽつぽつと会話を続ける。
「無事に……基地まで帰りつけてるといいんだけど」
「追撃部隊はみんな殺したはずだ……帰れてなきゃ困る」
「……そだね」

 こんなふうにフォルスと会話をするのは久々だなと、エドは思う。
 2人とも自分と自分の所属する小隊のことで手一杯で、以前ほど会うような機会も減っていた。
 戦争が小康状態だった頃は同じ部隊にいたこともあり、ほとんど毎日のように顔を合わせていたのに。

 少しずつ、少しずつ、会話が途絶えがちになる。
「……エド、起きてる?」
「あー、うん。まだ」
 ずり、と動く音がする。
「さむい……」
「おう」
 動かない腕をなんとか動かして、見えない目エドもフォルスのそばに這いずる。
 2人の動きが奇跡的に噛み合って、フォルスはエドの腕の中に収まった。
「あったかい」
「そう、だなあ……」
 エドもフォルスも、錯覚とはわかっていた。
 もはや目も見えていない。そもそも、痛覚すら機能していない。
 そんな状態で、くっつきあったところで暖かさを感じるはずなどないのだから。
「ねー、エド」
「なんだ?」
「……とりあえず寝るわ」
「おう」
「あとで起こし……て、ね……」
 フォルスは一度深く息を吐いて、それきりになった。
『あとで』なんて無いことなんてわかっているのにいつもの調子でそんなことを頼んできたフォルスに、エドは苦笑するしかなかった。
「まったく……」
 二度と醒めない夢の底に落ちていったフォルスは、どんな夢を見ているのか。
「おやすみ……良い、夢を……」
 少しでも幸せな夢であればいいと、考えて間もなくエドの意識も閉じられた。

 ─了─

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