認知症
先日の母の事があってからの事なのか、夜は携帯がいつなるかと気が気じゃなく、ゆっくりと寝れない夜でした。
母は父との結婚生活の中で、おそらく常に我慢を強いられたのだと思うのです。
その一つが、嫌いな食べ物を嫌いとは言えない人生もその表れだと思います。
父は、そばが大好物でした。
いつも昼はそば。
しかも365日そばを食べない日はないんじゃないか?と思うほどのそば好きで、土日はそば屋巡りが趣味のような人でした。
そのそば屋巡りに付き合わされていた母は、子供の僕の目からみても、同じ趣味でよかったと思うほど日曜なんかは決まってそば屋巡りだったのです。
父が亡くなって、僕がそばを食べに母を連れて行こうとすると、そばが食べ物で一番嫌いなんだから、もうそば屋にいこうとしないで!と母い言われ、僕は目を丸くするほど驚いた事がありました。
それだけ結婚が我慢と思って生きてきていた母だったので抑圧されたことがあったのだと思います。
僕が知ってる母は、理性的で我慢強く、そうしてそばが好きな人でした。
母の人生の中で、今が一番抑圧するものがまったくない人生なのだろうと思います。
思った事を言い、思った事を行動しようとする人生が本来の人生であったなら、母の人生は今までは
我慢に我慢を重ねた人生だったんでしょう。
帰りたいと思えば、帰りたいと叫んでいいのです。
寝たいと思えば寝たいと大声で言えばいいんです。
昨日、ずっと考えていたことです。
認知症の良いところは、抑圧がなくなること。
好きなことを言って好きなように生きることにとがめる人はもういません。
それが認知症の素晴らしいところじゃないでしょうか。
そんなことを考えながら、昨日を過ごしていました。
好きに生きていいんだよ、お母さん。