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認知症の始まり
今日も昼休みにはいつものように母詣出です。
今日はすこぶる機嫌もよく、買っていったロールケーキをおいしそうに食べます。
自販機で購入した缶コーヒーをおいしくないといい、甘さとコクがない。コーヒーは甘過ぎずコクもなきゃ。
となると、スタバなどでドリップで落としたものじゃないとダメでしょうか。
母の認知の始まりは冷蔵庫の中の買い物を多数タブって購入した始めていることから始まっていましたが、僕が認知を問題視しなかったのは、冷蔵庫のもの以外に症状はわかる限りなかったからなんです。
気が付かなかったといえばそれまでですが、毎週1度は実家に戻り、母を2~3時間の会話をして帰ってくるような生活を5年ほどしていました。
この中では気が付かなかったのです。
母は会えば、僕の仕事を心配していました。
あんたは、誰にも嫌われないだろうけど、それは自分の言いたいことを抑えているからだけなんだよ。
あんたは、心の奥に言いたいことを秘めて生きているのは知ってるんだ。
母はそう言っていました。
そのとうりで、僕の30歳代、40歳代は医療に対する不満、特に日本の医療行政の偏りに不満をもっていました。健康保険という仕組みは、いいようで悪く感じていました。
というのも、健康保険の仕組みが他社の生命保険などの保険会社の進出を拒み、また健康保険が許可しないことは、病院では行えない独自のルールは政府が作ったものですが、そこに異論がありました。
国は医療に差ができてはいけない、貧富に差があろうとも医療は差を受けることなく受けさせたい。
理想は立派ですが、それがかえって他の医療を受けさせる機会を損失してる部分は間違いなくあるのです。
両方ができればいい。
そう思ってた時代がありました。
国と戦いましたが、時代がうまくマッチングしていなくダメでした。
今なら、既存の健保は崩壊に近い状態ですので、崩壊をさせない為でも自由診療を拡大していくということは必要なはずです。
もうそんな元気は僕にはありませんが。
母の認知の次の段階は掃除でした。
家の中がどんどん汚れていくのです。
どちらかというと、父はきれい好きでしたので、整理整頓されている家でしたが、母は掃除がそもそも嫌いでした。
これも、認知の発見が遅れたのです。