質問票から
渡邊さん、お時間のある時にこれをお書きください。
これは、私ども医療機関がご家族とご本人がどのような考えでいるのか、どのような死生観をお持ちであるかお聞きするためのものです。
決してどういう事を書いたとしても、ご家族さんのご意見を尊重いたしますので、遠慮なくお書きください。
わかりましたといって、もらった用紙をじっくり家で見てみました。
これまでの暮らしで大切にしてきたことはなんですか?
今の暮らしで気になってる事はなんですか?
これからどのように暮らしていきたいですか?
ご家族、大切な人に伝えておきたいことはありますか?
最後の時間を誰と、どのように過ごしたいですか?
意思決定を一緒にしたい人は誰ですか?
医療ケアを可能な限り命を維持したいと考える方と、痛みや苦しみを少しでも和らげたいと考える方、できるだけ自然な最後を迎えたいと考える方といますが、どう考えますか?
この質問でした。
これはどう書くのか、悩むところです。
母は僕が思うに、ずっと我慢を強いてきてしまった人生だと思っています。
父がそれだけ権威主義だったのです。
父の世代はほとんどの方はそんな生き方をしていることが多かった時代でした。
我慢をすることは当たり前という世の中で生きてきて、現在はそういう生き方をすることは少なくなってきた時代です。
しかし、我慢が当たり前の中を生きて、その当たり前の中で人生が終わればストレスではなかったはずなのですが、今は我慢が悪いこととされる世の中になりました。
そうすると、それはストレスに変わります。
よく思う事ですが、ウスバカゲロウの一生はたったの一日だそうです。
朝生まれ、夕方には亡くなる。
人間の目線から見るとそれは短い一生かもしれません。
でも、ウスバカゲロウは短くて悲しいと思うでしょうか?
ウスバカゲロウの一生はおそらく、とんでもなく長い一日なのです。
それと同じでストレスをストレスと感じさせる世の中になるとストレスの疾病は増えます。
現に昔のほうがうつ病はずっと少なく、現代の世の中のほうが多いのです。
それは苦しみが今が多いからではなく、自覚する事が多いからと言えます。
少し言いたいことがわかってもらえるでしょうか。
母の質問票には楽しく、つらいことがない最後をと書いておきました。