日本人の友達なんていらない
プロローグ
小娘は世界のことを少し勘違いしていたようだ。最近の海外志向番組の影響により、親日国家や海外での日本文化の流行に関する記事ばかりが目につき、どこにでも通用する国だなんて甘い考えを持っていた。
小娘が思っているよりも、過去の歴史というのはとても根深く残っているようだ。当時小娘21歳。同年代やむしろ自分よりも歳下の子たちでさえ、局所的ではあるが、日本に対する負の感情を持っているのが伝わってきた。
過去に日本がしたことを自分は全然知らない。
いじめと同じで、された側の傷は癒えないし、ずっと残るということをヒシヒシと感じたのである。
出逢い
小娘が留学生活1ヶ月過ぎた頃、新しく自分のクラスに入ってきたコリアンガールがいた。彼女の名前はジュヒ。当時流行っていた真紅のリップをつけ、艶のある長い黒髪を下ろした、小娘よりも少し背丈のある女性だ。
彼女とは仲良くなれそう。
小娘は心のどこかでそう思い、ジュヒと仲良くすることを密かに心に決めていた。
小娘はジュヒに積極的に話かけ、いつの間にか彼女と大半の時間を過ごすようになった。クラスが同じ時はいつも近くに座り、授業が始まるまでは、世間話をしたり、アホな会話をしたりした。
酒豪な彼女は、放課後になるとパブに行こうと誘って来て、毎日のように行きつけのパブでお酒を飲みながら、いろんな話をした。そして、旅も一緒にした。ノルウェーの友達に会いに訪れたことや、ブリストルから少し離れたWeston Super Mare Beachに行ったこともあった。後者はシーズンオフに訪れたのだが、ビーチは水分を多く含んでドロドロで、思っていたのと違うと2人で笑い合った。控えめに言って、彼女とは最高な学生生活を送った。
別れ
彼女は小娘と同じく2月卒業でありながら、インターンシップコースに所属しており、学校での授業は11月までとなった。残りの12〜2月は企業でスタッフとして働くというもので、実質的に12月から会うことができなくなった。
ジュヒに加えて、仲良くしていたノルウェーからの友達も12月に帰国し、小娘はボッチになった。親しい友達を失うことほど、虚無感に襲われることはない。
そして2月上旬に学校主催の卒業パーティーが行われた。ジュヒも参加し、久しぶりの再会を果たした。とても嬉しい気持ちと、いよいよ本当に彼女と会えなくなる寂しさで、小娘の心は忙しかった。
そしてふと彼女がメッセージカードを渡してくれた。その場で読むことを彼女は許してくれず、家に着いてから読んだのだが、涙が止まらなかった。以下がメッセージの抜粋だ。
内容はこうだ。
「私はあなたと全ての課程を修了することができてとても嬉しいよ。もしあなたが私のクラスメイトではなかったら、私はこの生活に慣れるのにとても苦労していたと思う。そして、本当のことを言うと、私は日本人とは友達になりたくないと思っていたの。理由は私たちの歴史とか色々。だけど、あなたが私のこの悪い先入観を変えてくれた。『優しくて、寛容で、思いやりのある人』と言わずして、あなたを表現することはできない。
...
私が最後にあなたに伝えたいこと。
私のベストフレンドになってくれて、そして私たちの素敵な9ヶ月間にありがとう。」
小娘もジュヒの思いを知っていた。
日本人に対して良い印象がなかったこと。その印象によって、日本人と仲良くなることに少し抵抗があったこと。それでも小娘と仲良くしてくれたことが、とても嬉しかったし、彼女とは本当の絆が生まれた気がする。
その3年後、ジュヒとは日本で再会を果たした。彼女が来てくれたのだ。
そこで相変わらず一緒に飲み屋さんに行き、たくさんお話をした。彼女と久しぶりにかわす杯も、会話も、まるで留学時代のときに戻ったようで、楽しかった。
これからも彼女と連絡を取りあい、今度は小娘が韓国にいる彼女を訪れたい。
ありがとう、ジュヒ。
私もあなたとベストフレンドになれて本当によかった。
写真は彼女と一緒に訪れたWeston Super Mare Beachで見た夕日💛
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