虎と鷲と老猿 東京国立博物館
前回のnoteに載せようか迷って結局載せなかった絵がありまして、寝る前に図書館で借りた本をペラペラ捲っていたらその絵が飛び込んできましま。
そこから明治26年のシカゴ万博に出品された作品の不思議な繋がりに思いを馳せることに。
《虎》 岸竹堂 明治26年(1893年)
読んでいた本によると画の解説は以下の通り。
最初気付かなかったのですが、赤ちゃんに乳を与えてる画だったのですね。乳虎という単語があるのも初めて知りました。
それより何より「一時発狂したと伝えられる」って、さらに「ええっ!」ってなりました。
発狂って単語自体、何十年ぶりに見たでしょう。
乳虎を描いてるうちに、その感情が乗り移ったのでしょうか。それ程までにのめりこんで描かれた傑作であるのは間違いないですね。
よく観ると母虎の表情がすごくアンバランスというか、おかしくなってる感じが強く伝わります。特に眼の表情が独特。
そして《虎》の横に展示されていたのが、今尾景年の《鷲猿》
《鷲猿》 今尾景年 明治26年(1893年)
こちらも《虎》と同じく明治26年のシカゴ万博に出品された作品。
猿を狙う鷲と、逃げる猿が描かれています。
そしてさらに、同じくシカゴ万博に出品されていたのが、皆さんご存知の高村光雲《老猿》
《老猿》 高村光雲 明治26年(1896年)
この《老猿》、左手に鳥の羽を握ってるんです。
かつて若き日に鷲に襲われた猿が、
年齢を重ね再び鷲と出会い、
自らのテリトリーに引き寄せ鷲に一撃を与えた
そんな物語を今尾景年と高村光雲が、《鷲猿》と《老猿》で、しかもシカゴ万博で共演していたのだとしたら、カッコよすぎる。
是非、トーハクで並べて展示してほしい。
なーんて妄想を、狂気をはらんだ虎きっかけで感じた夜でございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?