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〜 10分で分かる陰陽論 〜 「 0 = (ー1) + (+1) 」

この記事の趣旨

 陰陽論に興味がある人は多いと思います。鍼灸を学ぶ上でも避けてとおることは出来ません。もちろん国家試験で出題されます。

 しかし、陰陽論はどこか抽象的な概念に思え、その伝えるところを腑に落とすのは簡単ではありません。しかし、素通りするのはもったいなさすぎます。

 この記事は、陰陽論のとっかかりが欲しい方、陰陽論に興味はあるけど、抽象的でよく分からないと感じている方に向けて書きました。
 
 本当は、自分で考え、悩んだほうがいいです。その方が納得できる答えにたどり着けるからです。
 人の言葉をそのまま鵜呑みにしても、「こういうものだそうです」どまりで、「分かる」こととはちょっと距離があります。
 
 この記事も私なりの理解で、正しいかもしれませんし、正しくないかもしれません。
 でも、よく分からないという方の参考になれば、あるいは新しい世界の扉をご用意するつもりで書いてみました。
 
 無理に腑に落とそうとするのではなく、ときが来たときに自然と腑に落ちるものではないでしょうか。 


第一部

1  陰陽論の概要

太極」とはすべてのものごとの本質・根本を指していますが、実態がなく見ることも触れることもできません。
 そのためイメージするしかありませんが、「無」というよりもすべてを包含する特異点のような感覚です。
 
 そして、この太極から互いに反対の性質である「陰」と「陽」が生まれ、私たちの世界を「陰」と「陽」がさまざまに積み重なった結果の現れと捉えるのが「陰陽論」です。 
 
 「陰」と「陽」を特徴づける性質には、次のようなものが挙げられます。

  陰 ⇨ 暗  静  遅  冷  虚  消極  中心性 etc 
  陽 ⇨ 明  動  早  熱  実  積極  遠心性 etc

また、こうした特徴を持つ物質として
 
  陰 ⇨   月    女性  地 etc
  陽 ⇨ 太陽  男性  天 etc

 この部分は比較的、分かりやすいと思います。他にも様々な対比を思いつくことができるでしょう。
 難しいのは、それが太極から生じるという点です。「太極ってなんなんだ」って感じていまいます。

 そこでこう書き直したらいかがしょう。

 「 0  ⇨ (−1)+(+1) 」

 上の式は疑いようがありません。
 
 この式の「0」に太極を、「ー1」に陰を、「+1」に陽を置き換えたものが私の理解による太極と陰陽論です。
 
同じことでも、表現を変えると抽象的だったものが急に具体的に見えてきます。

 「0」は虚無とは異なり、その内に「ー1」と「+1」という背反する性質を含んでいます。さらには「ー2」と「+2」、「ー3」と「+3」・・・・「ー無限大」と「+無限大」。
 どこまでも広がっていき、すべてを含んでいることになります。

 
 数学が得意なインドでも「0」の発見は5世紀まで待たなければなりません。
 古代中国では数字よりも文字を使った表現が得意だったのでしょう。
 それにしても、陰陽論がとても簡単な数式とつながることに私は衝撃を感じてしまいます。

2  陰陽論の広がり

 抽象的だった陰陽論が「−1」と「+1」に置き換えたことで急にデジタル化され、一見単純化された様にも感じます。
 しかしむしろその逆で、0から「−1」と「+1」を取り出したことで、ダイナミックで複雑な関係が生み出されていくのです。ここが陰陽論の「キモ」でもあります。
 
 
では「−1」と「+1」の間にはどのような関係があるのでしょう。

①ベクトルとしての「陰」と「陽」

 陰と陽は無関係にごろんと横たわっているものではなく、互いに押し合いをしている「力」、「ベクトル」と見ることが出来ます。
 世界はその時々で均衡している力が目に見える形として現れたものです。

◎  陰陽転化
 「陰が行き着くところまで行けば陽に変化し、陽もまたその頂点で陰に変化する」ことを表現しています。
 
奢れるものも久しからず、不幸もどん底まで行けばあとは上がるだけなど、実生活での馴染みのある考えでしょう。

◎  陰陽消長
 陰と陽のそれぞれの勢いは、常に変化し一定ではないことを表しています。四季は寒さと暑さの力の変化の現れです。
 
生まれてから成長しピークを迎えて老いていく、その過程にもまた上り坂もあれば下り坂もある人生も、陰陽消長そのものでしょう。
 
 陰陽転化も陰陽消長も、陰と陽の勢いは時の移り変わりとともに波のように変化することを表現しています。
 あえて数字であらわすならば、三角関数のグラフになるでしょう。


1から−1の間を取る三角関数

②個性・特徴としての「陰」と「陽」

 また陰と陽の関係を、時間軸から切り離してその個性として見ると、次のようにいうことができます。

◎  陰陽対立
 ある一つのものでも対立する二つの側面をもっているとする考えです。同じコインにも裏と表があります。
 女性の中にも男性的な、男性の中にも女性的な要素があります。対立する要素が対になり、一つのものが成り立っています。

◎  陰陽制約
 対の要素は互いに抑え合って行き過ぎを抑えています。ある意見に全員が賛成するような時、その考えが先鋭化してしまうこともあります。

◎  陰陽互根
 陰があるから陽があり、陽があるから陰がある、互いが互いの元になっている関係を表しています。
 太極である「0」から「−1」が生まれたまさにその瞬間に、「+1」も同時に生まれます。
 そうしないと0=「ー1」「+1」が成り立ちません。陰が生まれたからこそ、陽も生まれたのです。
 私は、この思想は陰陽論の中で最も重要だものだと考えています。

 
 ノートがノートとして役立つためには、筆記用具である鉛筆が必要です。また、鉛筆も鉛筆として役立つにはノートが必要です。話ができるのは聞いてくれる人がいるから、話を聞けるのは話してくれる人がいるから。

 対立する関係がもう一度一つになることで意味が生まれます。お互いに相手があって初めて自分になれるのです。
 
 陰陽互根が裏目にでることもあります。親が「親」として振る舞った瞬間、子どもは「子ども」として反発してしまうこともあるでしょう。
 親ではなく一人の「人」として振る舞えば、子どもの応答もまた子どもとしてではなく「人」としての、また違ったものとなる可能性があります。
 自分が鍼灸師となるとき、相手は患者となる。先生になるとき、生徒になる。日本人になるとき、外国人になる。

 逆に自分が何かにならなければ相手も何かにならず、互いにぶつかることもありません。
 
 
もちろんぶつかることすべてが悪いわけではありません。そこから新しいものが生まれることだってあるのですから。

◎  陰陽可分
 陰、陽の要素を分解しても、それぞれの中からまた陰陽の要素が現れ、どこまでも入れ子状態が続いていくという意味です。
 私という存在は父と母の遺伝子を受け継いでいますが、その父も母にもそれぞれ両親がいて、どこまでも続いていきます。

3  ここまでのまとめ

 陰陽論はデジタル化による世界観ですが、決して世界が単純であることを意味しません。むしろ陰と陽がおりなす複雑系としてとらえることこそが陰陽論とも言えるでしょう。

 しかし、陰陽論から世界を見たときに、「陰」「陽」に単純化したものと捉えるのか、複雑系として捉えるかは人それぞれなのでしょう。


第二部

1  もう少し深めたい方へ

①統合論としての陰陽論

 ここまでの説明が一般的な陰陽論の受け止め方ではないでしょうか。
 しかし、陰陽論にはもう一つ大事なベクトルがあります。興味が湧いてきた方は、是非読み続けて下さい。

 「 (−1)+(+1)  ⇨ 0  」

 これが、もう一つの大事なベクトルです。
 
 つまり「陰と陽に分かれた後」ではなく、陰と陽を一つのものとして捉えることもできるということです。
 
 
例えば男と女は同じ「人」ととして捉えることもできるでしょう。人と動物は同じ哺乳類として、動物と植物は生物として、生物と無生物は地球を構成するものとして・・・。

 どんどんまとめていくと、最後は一つの宇宙の根源のような太極に行き着きます。太極に行き着けば、「あれ」と「これ」はなくなります。「あれ」も「これ」も一つになり、溶け合い、なくなりまた「無」に還ってしまいます。
 この「無」はもちろん虚無とはちがいます。もっとしっかりした確からしさ、実感、確証のある全てを含んだ「無」です。

 分割する視点は違いに着目しています。統合するは視点は共通点に着目しています。
 陰陽論を太極からの分割として捉えるか、太極への統合として捉えるかは、これ自体が陰陽でありコインの裏表の関係です。

 私が陰陽論に関する話を見聞きして感じることは、分割論として捉えることが多いのではないかということです。
 分割論と同時に統合論でもあり、その両方を実感できてこその陰陽論だと考えています。

②科学の限界

 人類の知識や科学、文明は「違いを見分ける」ことで進歩してきました。水は酸素と水素が結合してできていました。酸素原子は原子核の周りを電子が飛んでいました。原子核は陽子と中性子と・・・。
 しかし細かく分割することで見えなくなることもあります。
 
 人の体で例えれば、体内で起こる反応や現象を脳の仕組みも含め全て生命科学として理解・把握できたとします。
 果たしてそのとき、命の仕組みについての疑問は何も残らないのでしょうか。
 全て把握できたなら「1+1=0」に疑問を感じないように、不思議なことは何もありません。
 しかし、体は知れば知るほどよく出来ています。
 そこに生命の営みという、物理や化学からの視点とは違う、見えない力のようなものを感じてしまうのではないでしょうか。

③陰陽論の可能性

 私は分割を進めた先の理解が終着点に行き着いたとしても、何か大きな宿題は残されそうだと考えています。
 その大きな宿題を解く手段が、統合的な見方になるのではないでしょうか。
 
 もし科学が分割の視点からのみ発展するのだとしたら、 太極と陰陽論は科学に対するアンチテーゼとしての大きな役割を果たすことができます。
 身近なところでは、損得や善悪を基準に振り回されがちな日常生活にも、新しい視点を持ち込むきっかけにもなり得ます。

 
 統合を進めた先は、科学と宗教の狭間のようなところに行き着くのかも知れません。

2 もっと深めたい方へ

 陰陽論としての私の説明はここまでですが、ここで終わらないのが陰陽論の凄いところ。
 あともう少しだけなでので、ここから先も是非読んでいただきたいです。

①様々な分野と陰陽論との類似点

◎  数字との類似
 ここまで書いて、私は改めて二つの驚きを感じています。一つは「−1」と「1」だけで世界がこれほどに深まるということ。
 もう一つは、陰陽論も数字も同じように「0」と「1」の二つから始まるだけでなく、同じように世界の成り立ちを説明するものであるというその類似性です。

 
 数字は始めものを数えるための一種の番号に過ぎなかったと思います。
 その数字が、数学として発展し、物理学とつながり、宇宙の様々な法則を説明する一種の「言語」としての働きを持っているのは、いったいどういうことなのでしょう。
 不思議に思いませんか?
 
 このように考えると、太極・陰陽論を、まだ数学や物理が発達していなかった時代の宇宙の法則を説明するものと捉えることも、単なる空想ということはできません。

◎  量子論との類似
 物質を構成する最少単位である量子の世界には「重ね合わせ」という現象があります。
 正確に理解しているわけではないので中途半端な説明ですが、量子の回転方向は、観測される瞬間までは右回りと左回りの両方の状態が重ね合わさっていて、観測された瞬間に右か左か決定します。
 さらに、量子Aには宇宙のどこかに逆回転のペア量子Bがあり、量子Aが右回りであることが観測された瞬間に、ペアの量子Bは何光年も離れていても左回転を取ります。
 量子テレポーテーションといいます。

 この量子の「重ね合わせ」は陰陽対立を思わせますし、「量子テレポーテーション」は陰陽互根を思わせます。

 量子論の研究対象はミクロの世界ですが、宇宙の誕生や成り立ちを理解するための学問領域であり、その世界観は3次元をも飛び越えて多次元まで広がっています。
 また、量子論の知見の積み重ねから、「宇宙は『無』から生まれた」という研究も進められているそうです。
 このように、量子論にも太極・陰陽論との親和性があるのです。
 
◎  仏教との類似
 般若心経の「空即是色」というとき、空=太極、色=陰・陽の分化を繰り返した多様な世界ということができるでしょう。

②陰陽論から見た世界

 陰陽論では、世界は季節が巡るように陰から陽に、陽から陰に常に変化してとどまることはありません。
 
 また、陰陽の性質は絶対的・不変的なものでなく見方が変わることで入れ替わります。太陽は「陽」とされていますが、太陽系の中心で動かないものとしてとらえるならば、「陰」とも言えます。
 さらに、純粋な陰も陽もありません。
 
 世界は陰と陽の要素のバランスの現れととも表現できますし、陰と陽に裏打ちされているとも表現できます。
 さらに常に変化する陰と陽は、決して変化することのない太極に裏打ちされているのです。

 アインシュタインでさえ、宇宙は不変と考えていました。
 
自ら導き出した相対性理論は宇宙が変化することを示していました。
 しかし、、宇宙は不変であると信じていた彼は、自分の理論が静的な宇宙を証明できるよう、「宇宙定数」という言わば架空の定数をその理論に組み込んで発表しています。
 
 1929年にハッブルが宇宙の膨張を示す観測結果を示したことで、宇宙観は「静」から「動」に変化し、今では多くのダイナミックな理論についての議論が重ねられています。

 2千年以上前に成立した東洋で成立した陰陽論は、動的な宇宙をすでに見越していたと言うこともできます。
 そして動的な宇宙は太極という宇宙の真理に裏打ちされているのです。

 私が感じ、考えている陰陽論はいかがでしたでしょうか。定義はないので受け止め方は人それぞれだと思います。
 書きたいことが書けました。最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。


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