平熱日記_2024年6月_Part2
某月某日
ひとまずカフカは小説全集第4巻を読了してひと休み。何を読もうかと本棚を漁った結果、片岡義男「珈琲が呼ぶ」を選ぶ。とことんカフカから遠いものを選んだのだが、冒頭結構理屈っぽいのだった。
毎夜寝れたり寝れなかったり。つまり安定的に熟睡できないのだ。昨夜も10時に入眠して2時ごろには一度覚醒したはず。その後うだうだとしつつ5時の起床時間を迎える。案の定こんな日は午前中は睡魔に襲われる。昼食の後に昼寝をたっぷりとってやっと1日が始まるという感じだ。
今月号のギターマガジンの特集が「実録!日本ブルース史」であると知って興奮している。エディー潘、竹田和夫、吾妻光良などの証言などがてんこ盛りのようなのだ。ネット広告に一部写真も掲載されているのだが、エディ潘がなんか滅茶苦茶老人じみて写っている。もちろん70歳を過ぎているので相応なのかもしれないが、かつてのギターヒーローが年老いていくのはやはりショックだ。
某月某日
午前中むちゃくちゃ脳が疲れる。また、自分自身まだまだ青い、というか書生臭い、というか世間知らず、というような考えに陥り悶々とする。弁当を食って昼寝をしたら、まあたいていの人間はこんなもんだろうという気になって無事kこの世に帰還した。
ギターマガジン7月号「実録!日本ブルース史」面白い!エディ潘77歳だった。喜寿というのか。竹田和夫の回想も興味深い。昨夜はこれを読みつつメンフィスブルースアンソロジーやBBKing&Sonsなどを聴いていた。後者は日本人ミュージシャンとのライブだが、10年以上聴いても飽きない優れもの。内容はBBのベストとは思わないが、加齢とともにあくが抜けてさっぱりと聴きやすくなると同時に、BBに対する日本人ミュージシャンの愛情・レスペクトが横溢して実に気持ち良いのだ。上田正樹の”Feelin' Fine”最高である。吾妻、いい仕事だが、最近植毛しただろ?
焼酎希薄化計画を実行しているが、体調は割と良い。今日がTさんの最終出社日。いろいろとコラボをして楽しかった。役員ブログの仕事とか面白かったなあ。パンダ印のせんべいをくれたのでチョコで返礼をする。さよならだけが人生だ。
早めに社を出て命の洗濯。最初のDUで狙っていたウエストロードブルースバンド「ブルースパワー」と憂歌団「生聞59分」をそれぞれ580円、480円で購入。
何たる僥倖。
上田正樹と有山淳司のボチボチ行こかもあったのだがバーボンレーベルの再発物だったので見送る。じっくり行こうよ、趣味だもの。
某月某日
人生百年時代だそうである。
先日テレビで老女優が主演映画の宣伝で登場して、老年賛歌を高らかに謳いあげていた。
いわく「(年を取ることは)楽しみでしかない」「(人生は)楽しまなくっちゃもったいない」
元気であるよなあ、と思うと同時に、本当かよと思ってしまう。
この老女優90歳とのこと。私の父親とそう変わらないのだが、親父は腰、膝を始め、あそこが痛いここが痛いが口癖で、いたく辛そうなのである。趣味は今や阪神タイガースのテレビ観戦だけといって良かろう。食欲は旺盛だが、若い頃と比べてどの程度美味と感じているのやら。酒もめっきり飲めなくなったようだ。
自動車免許は返上したから遠出はできない、自転車も乗れない、足が痛くて歩けない、セニアカーは買ったが行く先のスーパーはなくなった。結局居間に腰を据えて、テレビでプロ野球と時代劇を見るだけ。そんな老人である。こういうものだろう、というあきらめはあるのかもしれないが、特に不満を言うわけではない。しかし大事な試合でタイガースが勝つと相当量のアドレナリンが噴出しているのが分かる。
特に健康法もなく、血圧の薬は飲むがサプリなどとは縁がない。好きなものを食べているようだが美食などとは程遠い。地のうまい魚やもち菓子が好物である。朝はトーストに甘いジャムをつけてつまらなそうに食べている。
いや、元気であることに文句をつけるわけではない。おめでたいことである。おめでたいことではあるが何か引っかかるのである。
楽しみしかない?いやあ、私は若い頃のこれから何が起こるのかいろいろと想像していた時に感じたわくわく感を超えるときめきはすっかりない。大学に合格し、初めて親元を離れて京都で一人暮らしをする前夜の期待と不安の入り混じった、何か叫びだしたいような感情などは最近ついぞ経験しなくなったものだ。あんな感覚が今もあるというのか?
楽しまなくっちゃもったいない?そうですか。しかし年を取り経験値が上がると、楽しむより先に時間が過ぎていく、その速度のなんと早いことよ。なにせ多くのことが経験済みなのだ。もちろん食べたことがない料理、読んだことがない小説、聴いたことがない音楽などまだまだたくさんあるというかもしれないが、そういったものをどんどん新たに経験していくことなどできるのだろうか。常に未知の刺激を飽きることなく求めていくものなのか、人間というものは。そうでなければもったいなどと思うのか。
年を経てからはそれ相応の落ち着いた楽しみ方があるのではないか。ゆっくりじっくり味わうといったような。繰り返し咀嚼をするような。若者と同じように楽しむことだけが喜びとは限らないのではないか。
時に、年齢とともに、まるで感性がすり減ってしまうのではないかという恐怖さえ感じる。おびえながら音楽を聴き、おののきながら小説を読み、まだ大丈夫と安心する。そんな63歳の日々なのである。悩んだり、恐れたり、そんな中で喜びを感じて安堵したり、もはやこれまでと絶望したり。たぶん私の老後はそんな風に過ぎていくのだろう。何かの折に「若いですねえ」などと言われたら、これ以上ないほどの侮辱を受けた時の顔をしてしまいそうである。冗談じゃない、いま私はこれほど人生に向き合って真剣に生きていることはないというのに、若者などとはいっしょにしてくれるな。偏屈おやじであるか。
もちろん映画の宣伝なので、景気の悪いことは言わないで「まだまだ人生楽しむわよ!」とか「私の青春はこれからよ!」とか飛んだり跳ねたりするのだろうが、とても共感できるものではない。
しまいには私の健康法とか、おすすめサプリとか言い出しかねない。今後高齢者マーケットは格好のターゲットにされるのは火を見るより明らかなのだ。SNSでも著名人投資詐欺の被害者のペルソナを考えてみればわかる。
そういえば別の老女優が同じように年を取ることは怖くないと言っていた。「楽しみしかないわね。身体のこと?特に気をつけてません。まあ、せいぜいこの高麗人参くらいかな」って、思い切り宣伝してた。その後あまり間を置かずに亡くなったのだが、なにか痛々しい感じが残ったのだった。
人生百年時代?時代の主役のように持ち上げられて、いいように食い物にされてないように気をつけろよ先輩、と言っておこう。