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平熱日記2024_休肝日とSwing
7月某日
月曜から木曜を「休肝日」として、今日が5日目の金曜。特に離脱症状が起こるわけでもなく、夜中に無意識のうちにキッチンで焼酎をあおるわけでもなく、淡々と過ごした。少し嘘のようである。しかも今は夏の真っ盛り、1年で一番ビールがうまい季節なのだ!と、力むこともなく実に粛々とノンアルコールビールをたしなみつつ過ごした。
まだ4日間酒を抜いただけなので、特に劇的な変化はないのだが、感じたことはいくつかあるので、書いておこう。
1.睡眠が深い、か。
まだ、途中に何度か目が覚めるのだが、その合間の眠りが深い。あと、日に日に目が覚める回数が減っていったようだ。
2.朝のどんよりが軽減された
「どんより感」が軽減された。この「どんより感」から鬱っぽい気分になり、そこから被害妄想や動悸につながっていったのだが、その「起点」がなくなったのは大きい。
3.夢を見た
飲酒中は「2度寝の後の悪夢」を見ることはあっても「普通の夢(?)」はほとんど見なかったように思うが、今朝がた見たのは多分普通の夢だったような気がする(大丈夫か)。
4.目覚めが良い
やや眠りが深くなったからか、目覚めが良くなったようだ。
5.音楽を聴くことがなくなった
これは習慣の問題と思うのだが、「夜>飲酒>2階(リスニングルーム。防音設備なし)へ上がって音楽を聴く>ついでにギターも弾いてみる」という流れで音楽を毎晩聴いていたのだが、飲酒をやめたら音楽を聴きたくなくなった。というか、飲酒と音楽がセットになっていたので、しらふで音楽を聴いていても落ち着かない気分だった。ちなみに聞いた音楽は上田正樹&有山淳司「ぼちぼちいこか」(おいおい)これは昔のジャズメンの命題「素面でスイングができるのか」と同じような気がする。
ちなみに「今日は酒を飲みながら何を聴こうか、そうだ聴きたいのはストーンズの『メインストリートのならず者』だな、これが聴きたかった」と朝思った。これは惰性ではない本物の欲求だと思う(実際最高だった!)。
今日から日曜までは今まで通り飲酒をしてみる。土日は昼酒(ビール、ワイン、日本酒)と夜の飲みのセットである。この生活を続けてみて、体調の改善がみられるようなら、あるいは不調の原因が特定できて不安感が薄れるようなら、続けよう。
あと、腹がへこみウエストがくびれました。うれしくもなし。
7月某日
飲酒日翌日の土曜の朝であるが、思った通りどんよりとしていて、心に不安の影が宿っている。そうか、不安神経症(あくまで自称)の原因は過度の飲酒だったのか(根拠薄弱)。ちなみに昨夜は、缶ビール2本(350ml)、焼酎水割り4杯(やや濃いめ)であった。
改めて思う。素面の状態はそれはそれで素晴らしいが、アッパーな要因にかける。その分落ち着いている。飲酒の状態はその逆である。特に痛感したのだが、音楽との相性は抜群。酒=薬物、というのは極端だが、古今数多くのミュージシャンがドラッグに依存してきた理由がわかる気がする。多分最高の音に(が)聴こえたのだろう。
2階のエアコン2台の掃除を業者にやってもらう。冷房の危機はよくなったが、やや時間がかかる。古い機種だからだろう。
7月某日
ネット通販で注文したシュギー・オーティスのオリジナルCD3枚組と、5月に注文していた雪村いずみの「スーパー・ジェネレーション」が立て続けに届く。
「スーパー・ジェネレーション」はバックのTin Pan Alleyの演奏が目当て。そしてシュギー・オーティスは20年前のブラックミュージックレビューで「スライの暴動を思わせる」とか「10年早かったプリンス」とか絶賛されていたので、もう聴きたくて聴きたくて。昨日午後休を取ったのだが、注文していながらDUで「Here comes Suggie Otis 180グラム再発盤(未開封)」3,650円を買ってしまったほどだ。「この時代の音はアナログで聴きたい」という欲求の表出である。
雪村は、まず歌のうまさに圧倒された。バック云々は雪村に失礼と思うほど。そしてTin Panは、実に抑制された演奏。まあ、ボーカリストのアルバムなので、ボーカルの録音が大きいというのもある。
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シュギーは、2、3枚目をつまみ食い。なるほどノンジャンルっぽい。1stからして早くもブルース文脈から逸脱しかけている。
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7月某日
先週の休肝日は月火水木、で、今週は月火金にしてみる。水で注文していたCDをじっくりと聴きたいので、飲酒の日としたのだ。これでも週3日の休肝日確保。大したものだ。
しかし先週もそうだったのだが、解禁日の酒量が増えるのだ。あたかも休肝日を免罪符のように脳がとらえているのがよくわかる。ここをコントロールするのが重要になってくる。今夜は素面でシュギー・オーティスと雪村いずみを聴いてみよう。音楽に酔えるだろうか。
「素面でスイングできるか」
簡単に答えは出ないかもしれない。
7月某日
夏休みの計画を立てる。必ず押さえておきたいのは、銀座ライオン、浅草ホッピー横丁、新大久保のコリアンタウン。いずれも飲み食いの計画である。
満を持して色川武大「狂人日記」を読み始める。
石田月美という作家(エッセイストか)を知った。その美人論、ぶっ飛ばされた。林某の「美人は得をする」とはえらい違いでほとんど快哉。嫁の早めの誕生祝として贈る。気に入ったようでよかった。
7月某日
NHK‐Eテレで高校野球西東京大会決勝をやっているのだが、実況が女性なのだが、これが実に新鮮でcoolなのだ。解説者との絡みも予定調和していなくてスリリング。情報・知識で上回っているので解説者を食っている。途中開設が真剣になってきたのが分かる。実に良い。
ネット通販でJVCのCDプレーヤーを注文する。リビングでCDを聴いてみよう。カジュアルに音楽と付き合ってみたい。とりあえずボッサか。
しかし異常な暑さが続く。来週は東京最高温度37℃の予報も。地球温暖化を実感する日々である。
7月某日
JVC]ケンウッドのCDプレーヤーが手ごろな機能と価格だったのでリビング用に買った。木をあしらったややレトロな外観も気に入った。出窓のスペースにさりげなく収まっている。今朝ジョビンを低く流してみたのだが、音もまずまず。再生機能に特化しているため、録音とか余計な工程がないのが干渉が少なくて良いのかもしれない。これで2万円はいい買い物だ。
もともと音楽は2階のリスニングルーム(防音設備なし)でじっくりとビンテージ未満のオーディオと対峙するようにして聴いていたのだが、もっとカジュアルに聴きたいという欲求が出てきたのだ。昔はBGM的に聴くということに対する反発もあったのだ。オーディオ原理主義か。
とりあえず、ボサノバ、アンビエントなどを気分に応じて聴いてみよう。音楽との新しい付き合い方、というところだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1722337309262-E9acIzg2AL.jpg?width=1200)
プレジデント最新号の特集が「どうせ死ぬのに、なぜ生きるのだろう」というものだった。これは実は哲学的命題で、私自身も小学生のころからふと考えていたことなのだ。早速買って電車の中で読んでみると、これは看板に偽りありで「なぜ生きるのだろう」ではなく「どう生きようか」という内容なのだった。お金、認知症、夫婦仲、ガンなどと、どのように取り組むか・受け止めるか、といったテーマになっていた。まあ、もう少し読んでみて処分しよう。
しかし、「どうせ死ぬのに、なぜ生きるのだろう」か。多分生まれてきたからだろう。生まれ出た以上は生きていく。そしてただ生きて行くだけで実はいいのだが、なぜか物足りない、そしてむなしくもある。何のために生きたのかを探さなくてはならない、と思う。本能なのか自我なのか。そしてそのための模索、もがき、苦闘が生きた証ということになるのか。それらは何らかの痕跡を残すのかもしれない。ただし、これは大半の人間にとってはごく狭い個人的な痕跡ではないか。そしてそれを肯定するところに生きる意味があるような気がする。しかし、まだわからない。
「人間は生まれて生きて死ぬだけ(「博多っ子純情」より)」