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インスペクター・リシ ~森の怪奇事件簿~

あるいはなぜ私はナヴィーン・チャンドラにハマっているのか。
※この項、なぜかタミル語映画「ジガルタンダ・ダブルX」のネタバレにも及んでおります。しかも長々と。

日本語字幕付き、アマゾンプライムで見ることができる全10話のテレビシリーズ。2024年の春公開。オリジナルはタミル語版だが主演ナヴィーン・チャンドラの声は吹替。タミルの吹替えも落ち着いた素敵な声なのだけど、ご本人の特徴的な声はテルグ語版で聞くことができる。
そういえば同じくアマゾンプライムでS.J.スーリヤー氏が主演しているシリーズ「ベロニーにまつわるウワサ話」を先に観た時は、(私の環境に依存するのかもしれないけど)逆にデフォルトがテルグ語になっていて、ご本人の声を聞くにはタミル語に切り替えなければならなかった。

というわけで、推しの声を聞くにはテルグ語版なんだけど、オリジナルはタミル語とされているのでそれを尊重する。以下タミル語版予告。

タミル・ナードゥ州の緑深い森林地帯で、密猟者の警戒に当たっていた森林警備隊が白い繭に包まれ樹木に吊り下げられた異様な変死体を発見する。地元警察の刑事アイナール(カンナ・ラヴィ)とチトラ(マリニ・ジーヴァラトナム)は、都会から捜査を指揮する警部がやってくると聞いて不満顔である。派遣されてきたのはリシ・ナンダン警部(ナヴィーン・チャンドラ)。リシは左目に義眼を入れた気難しげな男でアイナールとチトラには冷ややかな態度だが、森林警備隊には愛想よく接近し、すぐに協力体制をとる約束を取りつける。そこで彼らが知ったのは、実は同じような変死体が5年前にも発見されており、当時は事故として処理されていたという事実だった。
三人は村での聞き込みの中で、住民たちが殺人を森に住む悪い女神『ヴァナラッチ』の仕業だと思っていることを知る。アイナールは不穏なものを感じてたじろぐが、リシは「どんなに不可解な事象であっても、必ず科学的な説明がつく」と言い切る。だが、そのリシも、他の人間には見えない「あるもの」が見えることに人知れず悩まされていた…。


森林地帯で起こる連続殺人事件に怪奇風味を加えたミステリーものだけど、奇をてらったような展開はないし、ジャンプスケア的要素も非常に薄いので、ホラー要素を求める向きには物足りないかもしれない。でも、派手な演出を控えめにしているところがむしろ上品に感じられるドラマだった。なお、物語のキーとなる森の女神『ヴァナラッチ』はドラマオリジナルらしいのだが、事件に関連して描かれる「もともと森林に住んでいた部族が、開発を理由に住処を追われる」という背景設定は、インド映画を観ていて時折目にする事情でもあるところが興味深い。最近では、インド映画じゃないけど「モンキーマン」でも似たようなテーマを取り扱ってたっけ。

南インドの派手やかな娯楽映画に少し慣れてからこのドラマを見ると、抑制された演出やストーリー、人物設定に新鮮さを感じる。なにせインドの警察ものなのに警察官が取り調べ中に人を殴らない(リシ警部が一回だけ回想シーンで殴る)。タミルとかテルグ映画の警察官って基本、人殴るじゃないすか…良い警察官であれ悪い警察官であれ。カジャル・アグルワールが刑事を演じたテルグ映画"Satyabhama" (2024)では留置した容疑者を彼女がボコボコに殴るシーンがあって、そこんとこは性差ないんだインド映画…と妙なところに感心したものだった。これは余談。
全10話というゆっくりな展開だし、察しのいい人はもしかしたらわりと早い段階で犯人の予想がつくかもしれない。ドラマチックなメリハリを求める向きにはやや退屈に感じられるかもしれないのだけど、犯人側の背景(かなり悲劇的でショッキング)もしっかりと描かれていて、一方的に正義を押しつける話になっていないし、結末でやや余白を持たせる演出(本当に怪異は存在するのではないか?)も心憎い。
主人公のリシを含めた警察官三名がそれぞれにプライヴェートに悩みを抱えていて、彼らのそれぞれの事情がサイドストーリーとして存在し、10話の中でゆっくりと解きほぐされていく丁寧な展開がとてもいい。とくにレズビアンであるチトラの描写は出色じゃなかろうか。私はインドでのセクシュアルマイノリティに対する人々の意識がどうなのか全く知識がないのだが、彼女とその恋人のエピソードは非常に胸が痛む一方で、彼女を理解しようと手を差し伸べる同僚アイナールの存在がきちんと描かれていて救いになっている。(「おれは保守的な家に育ったから」と言いながら、誠実にチトラに向き合うアイナールの在り方が、これこそ真の友情…!と思えて本当に良かった)

*チトラ役のマリーニ・ジーヴァラトナムはご自身もカムアウトしているそうなのだが、この役本当にナチュラルで素敵だった。ご本人のインスタにも凛々しい写真がいっぱいである。

このチトラの描写やアイナールの妻(夫の家族に疎まれて別居させられる)の描写、リシを苦しめ続ける過去の恋人、森林警備隊の女性隊員たちの描かれ方にちょっと気になるところがあって、ドラマの鑑賞途中で調べてみたところ、監督であり本作の脚本家でもあるNandhini JS氏は(私から見ると「やっぱり」)女性だった。性別で判断することはそれ自体偏見だと思うし、適切ではないかもしれないのだけども、このドラマは女性たちの描写が隅々までとても繊細でいい。彼女らを美化しているわけではなく、問題を抱えた女性たちが、問題を抱えたままに自然に存在していると私には思えてとても好ましかった。
男性たちの描かれ方もいい。主要な人物たちはリシを含めてインド映画で信奉される雄々しい美しさにはやや遠い(まあリシ警部はイケメンですけども)けど、皆それぞれに実直に生きようとしていて魅力的。主人公のリシも、彼をサポートする立場のアイナールも、どちらかというと悩み深い人物で、なんならリシは1話から10話までずっと悶々としているのだが、かといって悩みに耽溺して酒に逃げたりするような破滅的な設定にせず、根っこは健全な人物としてキリっと立っているところが、監督は人間の強さを信じているのかなあと思わせて頼もしかった。
なお森林警備隊員の一人として「響け!情熱のムリダンガム」で主人公のお父さんを演じていたクマラヴェール(Kumaravel)が登場しているのだけど、彼が演じているイルファンという人物も、物語の中で占める割合は必ずしも多くはないのだけどもとても印象に残る。

チトラとアイナール、リシ。三人それぞれに有能。
コミカルな「無能キャラ」がいないところもストレスフリー

ぎくしゃくしていたリシとアイナール&チトラの間に、時間の経過とともになんとなく信頼関係が築かれていく様子も、実際人間関係ってそんなもんだという説得力があるし、リシと森林警備隊の女性隊員キャシーとが、ぎこちなく関係を深めていくのも自然(この関係は、のちのちリシにとって切ない方向で効いてくる)。
登場人物の感情の機微や、彼らの間の関係性がしっかりと描かれて充実しているので、大変心地よいドラマだった。評価もとても高かったようだし、監督は現在続編を構想中だとのことで、ぜひ近年中に実現してほしい。

リシ&キャシー、お似合いなのだが

ところで、私がナヴィーン・チャンドラという俳優の作品を敢えて選んでみるようになったのは、このドラマを見る少し前に映画館で見たカールティク・スッバラージ監督の「ジガルタンダ・ダブルX」がきかっけだった。
「ジガルタンダ~」を観たのは2024年の4月はじめで、あの映画にぶん殴られた人にはお分かりいただけると思うのだが、結構なショックを受けてしばらくはあの作品のこと以外を考えられなかった。ネトフリを英語に切り替えたら英語字幕で観られると知って以来、何度観たことか。特にあの、"Shot One, Take one, Rolling!"から始まってSJスーリヤ―がスクリーンの前に立つ最後のシーン(ヤーヤーヤーヤーヤーヤー♪)、何ならそこだけ何度も観たよね。そしてそのスーリヤー氏の前に、背後から映写室の光を浴びて立つこの悪党…こいつ警察官のくせにめっちゃ悪い奴やったな…最初から最後まで善人の要素全然ないやん…にしてもなぜかこのシーンでのコイツかっこいいんよね…えっと…そういえばこの俳優の名前なんていうんだっけ…?それがナヴィーン・チャンドラです。
この映画の中で、最初から最後までひたすら悪い奴(しかも深い屈折もない、ただ純粋に悪いだけなのでたちが悪い)として登場するナヴさんなのだが、この最後のシーン、SJスーリヤ―と対峙し、一発の銃弾で吹っ飛ばされてあっけなく絶命するシーン、ここなんか知らんけどこの人超絶美しくないか…?もしかして私はこのシーンを観たいがために何度もこの映画をリピートしてるんでは?(気づき)
舞台の上に立つSJスーリヤー氏が「芸術家は不滅だ」と言いながらすでにこの世にない者の目をしているのに対して、ナヴさんは数多の人々に死を与えてきた死神を自負する存在でありながら、額に汗をにじませ、まばゆい光を背にして、そこに生々しく「生きている」。その命が断ち切られる瞬間の美しさ。彼がこと切れる瞬間も回り続けているであろう8ミリカメラ。そして彼の死を見届けている観客の我々。最低な悪党にこんな花道をしつらえるとは…シネマの力って怖い…そしてありがとうスッバラージ監督。刺さった。性癖に。

ということで、「ジガルタンダ・ダブルX」での見事な死にっぷりにどんハマりした後に観たドラマがこの「インスペクター・リシ」だった。「ジガルタンダ~」で彼が演じていたラトナクマール警視は、どこか脱力している立ち居振る舞いが得体が知れず不気味だったのだが、この作品はそのゆったり構えたところが有能な警察官の落ち着きに見えるところがいい。声を荒げず、いつも穏やかで、ちょっと眉間に皺を寄せながら相手の様子をうかがう。もちろん無辜の人々を殴ったりしない。過去のトラウマに悩む様子もなんか素敵。女性に対してやや受け身なのも素敵。とにかく素敵…(語彙力ゼロ)ジガルタンダのラトナクマールとえらい違い。いやラトナクマールもすごいよかったけど。殺意が湧くくらいに。
ともかく、正反対の誠実な人間ぶりに、イイやん…!と思ったのが運の尽きで現在に至る。
ナヴさんがこのドラマについて語っているインタビュー記事(良記事)があるのだが、これによれば「ジガルタンダ~」とこのドラマは制作時期がなんと同じ頃だったそうで、正反対の役どころにご本人が「心が乱された」と言っているのだけど、おそらくはかなり控えめな表現であろうと思われるので、役者ってすごいなあ(苦痛を伴う仕事なんだなあ)、と敬服したのだった。

せっかくの魅力的なキャラクターだし、きっと実現するであろう続編で、ナヴさんにはリシという人物をさらに深掘りしてほしいなと思う。監督がまたいい脚本を書いてくれることにも期待したい。

最後にテルグ版の予告編も貼っておこう。

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