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書くことで、生きた証を残す



Ⅰ 「お母さん」になれなくて


 私にとっての、かなえたい夢―それは生きた証を残すことだ。生きた証を残す、と一口にいっても、様々な手段がある。自分の遺伝子を引き継ぐ子供がいれば、子供の存在が、自ら起業すれば、立ち上げた会社が、慈善事業に携われば、その事業によって救われた人の存在が、生きた証になる。

 私の場合は、自分が書いたものを少しでも多く活字化し、できれば本にすることで、生きた証を残したいと思っている。こんなふうに強く感じるようになったのは、私自身が不惑を迎えた頃からだ。

 昔むかし、保育園に通っていた私が卒園するとき、アルバムには将来の夢を語るコーナーがあった。私の夢は「お母さん」だった。大人になってニコニコしながら乳母車を押す自分のイラストを添えた。それを見たお友達からは、「お母さんにはみんななるんだよ。」と言われた。

 しかし残念ながら、不惑を迎えたときに、私は「お母さん」にはなっていなかった。肉体的にも精神的にも貧弱なものではあるけれど、自分の遺伝子をこの世に残すことはどうやら無理らしい、そう気づいたときに、書いたものを活字化することによって、生きた足跡を残したい、という思いが湧き上がって来た。

Ⅱ 『アンネの日記』を思い出す

 高校時代、私は『アンネの日記』を繰り返し読んだ。『アンネの日記』は私の愛読書だった。ナチスによるユダヤ人迫害で、アンネはわずか15歳で命を落とし、その肉体は滅びてしまった。しかし、アムステルダムの隠れ家で日記を書き綴ることによって、アンネは永遠の命を得た。彼女の死から80年経った今も、私たちは日記を読むことで、アンネの生き生きとした魂に触れ、彼女と対話することができる。アンネは日記に「私の望みは、死んでからもなお生きつづけること! 」と書いたけれど、その望みは実現したのである。

 では、アンネのように死んでからもなお生きつづけるために、私は何を書こうか。大学、大学院と文学を学んだので、まずは文学の評論を、さらに小さい頃から好きな映画の評論を書いて、活字化したい、そう思うようになった。

Ⅲ 文学と映画の評論を書く

 文学は引用の織物である、とよく言われる。英語で聖書を意味するバイブルという語は、ギリシア語で書物を意味するビブリオンに由来している。聖書は、「書物の中の書物」といってもよい。ある作家が、聖書をどう消化し、自分なりの表現に作り変えているのか、を考えること。さらに、作家が下敷きにし、オマージュを捧げている近代小説は何か、を考えること。この二つが私の楽しみであり、得意技でもあるようである。

 映画も、文学を分析するのとさほど変わりはない。後発の娯楽である映画は、文学を元にした作品もたくさんあり、文学から多くを学んでいる。映画批評に手を染めるのは、蓮實重彦を始めとした文学畑の人間が多いのもそのためであろう。
 最初の映画は、1895年、フランスでリュミエール兄弟によって作られた。映画はキリスト教文化圏で誕生している。主人公を造形する際にモデルとされたのは、まず何よりもイエス・キリストであり、基本となる物語は、イエスの一生であったと思う。映画の中でイエス的な存在がどのように描かれているのか、先行するどんな映画にオマージュを捧げているのか、を考えるのが、映画を観るときの楽しみである。

Ⅳ リトル・バイ・リトル

 とまあ、こんなふうに偉そうに書いたけれど、活字化できているのは、文学については同人誌に載せた論文が数本、映画についてはレビューが一本だけと、ほんのわずかである。
 私の場合、文学なら学生時代の同人誌があるので、活字化しやすいのは文学の方であると思う。だが、2時間もあれば見終わる映画と違い、文学は読むのに時間がかかる。しかも、一読して明快に分析できるほどの頭脳は持ち合わせていないので、作品の特徴が明確になるまで、繰り返し読むことになる。つまり、文学は一本の論文を書くまでに映画よりもはるかに時間がかかるのが難点ではある。けれど、文学が好きで大学でも専攻したのだから、逃げずに書きたい。
 今年は、まずは昨年読んで面白かった多和田葉子の『献灯使』について書き、勢いがついたら、学生時代に扱った太宰治の小説についても論じられたらと思っている。

Ⅴ かなえたい夢

 毎月、少しずつ投資することで、将来的にまとまった資産を手に入れることができるように、少しずつ文学や映画について書きためて、いつか一冊の本を出すこと。これが、私の最大の夢である。

 映画の本なら、『映画にとってイエスとは何か』というタイトルにしたい、なあんて考えている。私は大学に籍がある研究者でもなければ、とある分野の著名人でもない。だから、出版不況の時代に本を出したい、という夢の無謀さは重々承知の上である。

 映画とキリスト教の関係については、ヨーロッパ美術史家の岡田温司氏が『映画とキリスト』(2017、みすず書房)という著作を出されている。岡田氏は、パゾリーニやロベール・ブレッソンといった、誰が見てもキリスト教と関係が深い、イタリアやフランスの映画作家について論じられている。
 しかし私は、日本の映画作家であっても、イエス的な存在を描くことには自覚的であると思っている。これまで光が当てられることのなかった、日本の映画作家、例えば、『男はつらいよ』シリーズの山田洋次や、クリスチャンの母が登場する『おとうと』などを作った市川崑と、キリスト教の関係を掘り下げられたら、と思っている。


 突拍子もない妄想に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。みなさんのかなえたい夢は、何ですか?

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