娘が新生児脳梗塞だった話
こんにちは(こんばんは)、おひです。私は2人の子供(4歳男、2歳女、@2022年10月)の母です。私の子供たちは偶然にも誕生月が同じで、今秋には息子5歳、娘3歳の七五三のお祝いが控えています。大変おめでたいので子供達の成長のお祝いに記念noteを書き起こすことにしました。娘の出産エピからその後のことについて、です。記録のようなものです!
うちの下の子は、生後すぐに#新生児脳梗塞により大きな病院に救急搬送されていました。
産まれたばかりで脳がバーンてなっていたんです。症例としてはまあまあ珍しいそうです。4~5,000人にひとりとか、地元の大きな病院でン年にひとりいるかどうかとか。
そんな娘なので、私も、娘を取り巻く家族みんなも此度のお祝いを大変喜ばしく思っており、お詣りなどのファミリーイベなんかもとても心待ちにしています。奮発して良い温泉宿の予約を取ってしまいました。
唐突なメモリーひとり語りですが、あまり無いと言われている娘の症例の予後の様子について、
ひとつの事例として展開することで
及ばずながらでも、
誰かの今を、どこかのご家庭の明日を照らすことができるかもしれないと思いnoteにしました。
気軽に読んでね!
桃尻ちゃん爆誕
娘は帝王切開で産まれました。
・女性は体内でヒトを錬成することができる(言い方)
という人体の仕組みそのものに興味があり、加えて
・私の母も帝王切開経験者
・赤ちゃんの産み方に拘りが無かった
ため、分娩の方法はなんでもいいでーす、何なら自分の身体の中見てみたいでーすと思っていたし、娘は娘で後期以降ずっと骨盤位(逆子といわれるやつ)でいたかったようなので仕方ないですね。
私が当時太りすぎて赤ちゃんがぐるんて回転する隙間がなかったのかもしれない。娘ごめん。
分娩の方法がなんであれ元気に産んでやることが私の仕事と考えていたので、一応な感じで「逆子体操」とか逆子改善に効くとかいう「お灸」(べらぼうに高い)とかはしたけど、まあ、なんとなく?眉唾だったというか?妊婦としてのポーズでやっていたようなところもあり、そんなんだからか骨盤位も特に好転せず順当な感じで帝王切開が決まった次第です。
結果的に娘を元気に産むことができなかったし「赤ちゃんを元気に産むことが私の仕事」と思っていたことが後の自分を苦しめることになるのですが。
そんなこんなで産院と入院日を相談しながら(もしかしたら赤ちゃんの頭がくるんとなって普通分娩になるかも?)という一筋の、本当に細い、蜘蛛の糸のような一縷の望みをもって日々通院していたんですが、まあ、蜘蛛の糸のような細い望みなんで、無惨様でした。
無惨様の決定権は全て無惨様にあり無惨様の言うことは絶対です。
日々は淡々と、粛々と過ぎていき、普っ通に逆子のまま入院しました。
この瞬間娘の誕生日が決まり(手術室と先生の都合で決まるから)上の子との誕生日が1週間違いになるわけですがそれはそれでまあまあの奇跡じゃありません?偶然の産物なので。
で、まあ腹を切る覚悟?もそこそこに?入院を果たしここでも粛々と、非常に事務的に、時間と用意が過ぎていき産婦は術日を迎えます。その過程でいろいろな検査とかあった気はする。うろ覚えだけど。
大事にしていたダイヤのネックレスもこの時のどさくさで無くした、余談ですが。
お産の当日、分娩手術室の室内の全てが物珍しく、私はきょろきょろする衝動を抑えられませんでした。余裕があったんですよ、余裕が。お産が楽しくてしょうがなかったです。高揚してたんかな?
分娩台に乗った際、ライトの鏡面部分から術中のおなかのなかの様子見えないかな?などと思っていたし麻酔をされても(お〜本当に感覚が無くなっていく!感動っ!)とお産のひとつひとつの進捗を楽しんでいました。が。
そんな余裕もハラキリの前には無惨様でした。ここでも無惨様。
無惨様の言うことは絶対だ!
手術 is 無惨様。
このあと秒で余裕が打ち砕かれます。
目隠し?なのか高さのある簡易カーテンをデコルテの位置あたりに設置されたらお腹は愚か天井のライトも何も見えなくなりその後は本当にまな板の上の鯉でした。されるがまま何もできない、手足も動かない(麻酔しているので当たり前ですね)手は動いたかな?そんなイメージです。
産科医から何か宣言のようなものを受け(へぇ。。。儀式っぽ)と思った以降は、カチャカチャと聞こえる金属音と、パタパタと忙しそうな助産師の足音と、BGMの安室奈美恵しか聞こえませんでした。
(なんで安室奈美恵、、、好きだけど、、、)
「この音楽好きですか?僕好きなんです~世代でね」
などと先生が呑気に話し始め私もヘラヘラと笑ってたけどそんな流れの中で先生が
「切るね~」
なんて言い出すから(多分だけど宣言しなくちゃいけないのかな)
(え?いまそれ言う?てか切るってメスが熱くなってて焼きながら切る的なヤツ?えードラマみたい!見たい見たい!)
と脳汁がドバー!した瞬間、
サーーーっと身体から血の気が引いて視界がチカチカしました。
(あ、やばい、倒れる)
いや手術中だから倒れることは無いんだけど瞬間的にそう感じるくらい思考が停止した。直感てやつでしょうか。
息も苦しいしなんか吐きそう。
(ああ、おなか切られたから血が出たのかな、血圧が下がった?わからん、苦しい・・・くる・・・)
脳汁ドバーじゃなくて血がドバーだったのかな。知らんけど。
苦しくて呼吸が浅くなって、あふあふしていると助産師さんが
「気持ち悪くないですか~苦しくないですか~」
と優しく声をかけてくれる。神か。
「く… くるしいです、あと… 気持ち悪い、、、」
とガチめに泣きながら答えると
「酸素のマスクつけましょうね~大丈夫ですよ~とっても上手ですよ~。楽になるお薬も増やしましょうね~」
と励ましてくれ、よく分からないけど楽になる薬とやらも入れてくれて本当にすぐに楽になった。なんだあの薬。薬はすごい。
ていうか赤ちゃんまだ?けっこうかかる?
先生「ちょっとお尻が引っかかってるから身体ゆするね」
の宣言?
からまじでめっちゃゆすられた。
は?お尻が引っかかってるって何?てか大人になってこんなに身体がゆすられることってある?いま私おなか開かれた状態でこんなにゆすられてるの?おなか避けない??この台から私落ちそうじゃない?え?なに??だいじょぶそ?お尻引っかかってるって何どゆこと???えっえっ
ユッサユッサ
先生「出たよ~~!ひゃ~かわいい~!」
出たんか… めっちゃゆするやん…おわったんか…良かった、ワタシ生きてる…
この辺記憶が曖昧だけど赤ちゃんのお尻が引っかっていて開腹部から出られないと言っていたことと、引きずり出す?ために?めちゃ身体ゆすられたことは覚えています。
それと、私は私の個人的なお産スタイルとして赤ちゃんに会うまで性別はシークレットで過ごしてきており、先生にもそのようにお願いしていたのでこの時先生はとても嬉しそうに
「それでは発表します!ドラムロールぅ~~ドロドロドロドロ!おひさんの赤ちゃんは!!桃のようなかわいいお尻の女の子ちゃんでした~ジャーン!キャッキャッ」
と告げてくれたのもしっかり覚えています。
先生めちゃ喜ぶやん
女の子だったのか。かわいい、元気だね
真っ赤だね、やっと会えたね
ちょっとお母さん手術で苦しかったわ
おまえさんしんどくなかったかい
ふきふきされ、計測され、優しく産着に包まれた赤ちゃんを横につけてくれた時、そんなことを思っていた気がします。
赤ちゃんに会えて嬉しかったのか、一瞬怖くなってしまった手術が終わった安心感からなのか分かりませんが涙が出たことも覚えています。
まあ今なら前段の先生のカジュアルトークも術前の産婦の緊張を和らげるためだよなということは分かるんだけど正直助産師さんが手をつないでいてくれたことや酸素くれたことのほうがよほど安心感につながったなあ。
先生ごめん。でもあの時はあんなに喜んでくれてありがとう。あと安室奈美恵ちゃんはすごい。もしかして世代見合いとかで選んで安室ちゃんにしてくれたんかな。ありがとう。
長くなりそうなので次回以降に続けます。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次回。おやすみなさい。
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