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芭蕉と馬の尿。山形県最上郡。グーグルマップをゆく #71
グーグルマップ上を適当にタップして、ピンがたった町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は山形県最上郡。
最上郡は古代より残る地名である。真ん中の新庄市を囲う形で地形で、なんとも不思議な形だと思ったが、最上郡に属していた新庄町が市として独立したため、今のような形になった。最上郡が市になるのではなく、真ん中に位置する町が市として独立するのだから、なんとも面白い。
最上郡最上町堺田の国道47号線沿いに重要文化財に指定されている旧有路家住宅がある。通称、封人の家という。封人とは国境を守る役人のことで、仙台藩との藩の境に置かれた庄屋の住宅であった。つまり、関所である。
元禄2年(1689年)、2人の男がこの地を訪れる。ここを目的に来たわけではなく、山越えをして、やっとのことで関所に着いたと思ったら、通行手形がない。右往左往したため役人に怪しまれ、取り調べを受ける羽目に。
疑いが晴れて関所を通れたものの、悪天候で大雨に見舞われ、旅を中断するしかなく、この地に3日留まったというものである。
男たちは、松尾芭蕉とその弟子の曾良である。この一連の騒動が「奥の細道」に書かれており
「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(しと)する 枕もと」
という句を詠んだとのことであった。最上町役場の公式サイトによると
人馬が一つの家で寝食を共にする様子を詠んだ芭蕉の句の背景には、小国が馬産地であり馬を大切に扱う生活環境があったようです。
と書かれている。これによって、人と馬が一緒に生活する環境だったため、「のみしらみが多く、枕元では馬がおしっこをして、大変な滞在となった」と解釈されているようである。しかし、これだけではないと思われる。
この関所は当時、「尿前の関」と言った。
つまり、尿前という関所で右往左往している自分達をのみしらみに例えて、馬の尿の周りを飛んでいる様子に皮肉ったのであろう。
俳句は、言葉そのものの意味よりもダブルミーニングで、隠された意味を読み解く面白さがある。私は、芭蕉に詳しくないので、合っているかはわからないが、こういった解釈も悪くはないだろう。