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高天原と出雲の気質の違いについて雑談
トップ写真は鳴門海峡淡路島から登る朝日 右奥はおのころ島説の沼島
阿波説調べ始めた頃
私が徳島の歴史(日本古代の歴史?)に
興味を持って調べ始めた頃、
いろいろな本を読みました。
通説とは異なり、異説と呼べる阿波説。
当然ですが、大きな書店に行っても、
阿波説について書かれた本は皆無に近い。
仕方がなく、ネットで調べて書籍を調達。
それらの書籍のほとんどが、
徳島県人によって書かれている。
著者の人は、地理的なことを理解している。
残念ながら私はちんぷんかんぷんであった。(笑)
ストレス感じてませんか?
当初、
大変困ったのが地理というか位置関係。
地元の人は、○○町とか○○市で、
だいたいの位置関係や移動時間が分かるだろう。
しかし、私のような他県に住む者にとっては、
知らない地名が出てくる度に、
グーグルマップで検索しなければならず、
これがけっこうなストレスとなっていた。
徳島県以外にお住いの方。
いかがですか?
趣味とはいえ、
私もブログを書くようになり、
徳島の神社などを皆様にお伝えしている。
地理的な情報を、
もっと分かりやすくお伝えしなければ。
分かってはいるのですが、
なんせ、ITリテラシーとやらが低いもので・・・。
徳島について調べ始めた頃、
自分が抱えていたストレス。
皆様に与えてしまっているのでは?
とても気にはなっています。
そのうち、なんとかしますので、
気長にお待ちください。(笑)
地理的なことが分かると楽しい古代史
なんで、こんな話を書くかと云うと、
古事記阿波説や、
その後の歴史を理解する上で、
神社の場所等の位置関係を理解しているか、
していないかでは、
全く理解度が変わってくるのです。
先日、ある地元の方とお話をしていて、
その方が住まれる地域と、
隣町に住む人の気質についての話題になりました。
その方が言うには、
隣接しているから、気質も似ている。
というわけではなく、
徳島は川の流域によって気質が分かれる。
そんな話を聞かせていただきました。
これ、私には妙に腑に落ちたのです。
徳島の地図、
グーグルマップで見てみてください。
大河もあれば中規模河川もある。
網の目のように小さな川まで。
全域に水路が張り巡らされています。
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古代人にとっての移動手段。
遠くに移動しようとすれば、舟。
水路を使わなければならなかった。
また川が氾濫する土地はよく肥え、
豊かな実りを与えてくれました。
世界4大文明も大河を中心に栄えました。
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少し論点変わってますが、
そのような観点から考えてみると、
私の中で、古代日本の中心が阿波。
というのも、確かにな。
と、思えるのです。
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重要であった水路と航海術
話戻して、気質。
確かに現代は、山をくり抜いたトンネルが通り、
すぐ隣にあるように思う隣町。
古代は山をいくつも超える必要があった。
移動に不便な隣町よりも、
舟で上り下りができる流域の方が、
交流は盛んになりますよね。
また古代の人たちは、
川の水路だけでなく、
大海原を航海する技術も持っていました。
海洋民、海人族と呼ばれる人たち。
古事記の神武東征。
海の渦にまかれ、進めなくなった神武天皇。
助けたのが、そこに現れた渦比古。
その後、神武天皇の側近となり、
大和国の初代国造となっています。
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鳴門市に、
渦比古を祀る宇志比古神社があります。
ということは、
大和(奈良)でなく、倭(徳島)だった?
また横道に逸れてしまいました。(笑)
海洋民は川の水路、海の航路を使い、
遠くは大陸、
また日本全国を開拓して行きます。
長野県を訪れた時、
穂高神社に、
海神(わたつみ)が祀られていたこと。
周辺地域の地名に安曇野があること。
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不思議でしたが、
往古、海洋民であった安曇氏が進出し、
祖神である海神を祀った。
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そう考えると、
海とは遠く離れた信州に、
海神が祀られているのも腑に落ちます。
国譲り神話編 続きは次回
今日は、国譲り神話の流れから、
タケミナトミ神社について書こうと
思っていましたが、
雑談的に終わってしまいそうです。(笑)
タケミナカタを祀るタケミナトミ神社。
信州、
諏訪大社で祀られる出雲神、
タケミナカタ。
どこから信州に行ったのか。
通説通り島根の出雲か。
異説ではあるが阿波の出雲か。
理解する上でも、
阿波説の出雲エリアと高天原エリア。
頭に入れておく必要があるのです。
高天原エリアと出雲エリア。
全く、流れる空気も違うのです。
(行けば分かります)
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これまでに、
国譲り神話の流れでご紹介した2社。
建布都神社と事代主神社。
その2社から、さほど遠くはない場所に、
タケミナトミ神社が残っています。
次回、ご紹介させていただきます。
今日は地理的な話から
雑談となってしまいました。
すみません。
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