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手力雄命(たぢからお)は佐那那県(さななあがた)に坐す(います)
トップ写真 天岩戸別神社(佐那河内村)
手力雄命は佐那の縣にいます
前回は天岩戸立岩神社について書きました。
今回は、その流れから天岩戸別神社。
こちらも、私が高天原があった場所と断定
している徳島県は佐那河内村にあります。
古事記に、
『手力雄命(たぢからお)は
佐那那県(さななあがた)に坐す(います)』
そう記されているとおり、
佐那縣とは、現佐那河内村のこと。
ということは、
今日、ご紹介する天岩戸別神社は、
天照大御神様を岩戸から連れ出した神様。
天手力雄命が人間として生きた時代。
お住まいになっていた場所。
そういうことになります。
![](https://assets.st-note.com/img/1704546219651-cleIhWjlSK.jpg?width=1200)
以前も、
天岩戸別豊玉比売神社の回で書きましたが、
天岩戸別神社の広大な敷地の中、
豊玉比売も祀られていたそうです。
なぜか、廃社とされてますが。
豊玉比売が冠に付く式内社も、
阿波にしか存在しないのです。
三社皇大神宮
私が、
やまつみの宮という宿を計画している場所。
その裏山には、
昔、多くの人たちが歩いただろう、
天岩戸別神社へお参りするための
参道跡が残っています。
![](https://assets.st-note.com/img/1704546306106-da7YS2aP3y.jpg?width=1200)
この参道跡の痕跡から考えると、
天岩戸別神社は、山の一つ二つではないほど。
広大な社地を有していたと思われます。
(土地勘ない人も行けば分かります。)
![](https://assets.st-note.com/img/1704546432058-AsbWngZDay.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1704546550927-vFqeR8exHn.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1704546566315-hhRIirdp9g.jpg?width=1200)
別名、三社皇大神宮。
天照大御神(伊勢内宮の最高神)
豊受大神(伊勢外宮の神)
ウガノミタマ(稲荷神)、オオゲツヒメ(阿波神)
保食神(ウケモチカミ)
等と同神。
天手力雄命。
三神をお祀りしています。
私の予想では、
廃社とされた豊玉比売神社も、
こっそり密かに、
お祀りされている。
そう考えています。(私見)
天岩戸別神社のポイント
いくつかの行き方があります。
目印は阿波古事記研究会さんが、
立ててくれてる看板。
看板のある位置からは舗装されてない道。
おそらく、車で行けるかな~。
と、心配になられると思いますが、
大丈夫!
車で行けます。
砂利道なので、パンクには要注意。
![](https://assets.st-note.com/img/1704546649665-sxxa6RRvaJ.jpg?width=1200)
境内に近づき、車を降りると、
そこは別世界。
タイムスリップしたかのような感覚を
味わえます。
![](https://assets.st-note.com/img/1704546717162-PgYjDW0NEL.jpg?width=1200)
車を停めた高さから、
拝殿に行けますが、
できることなら、下に降りて、
阿波の青石で組まれた石段を登ってほしい。
高齢者や足の悪い方は、
注意が必要ですが、
古のご先祖たちが歩いた道。
存分に味わっていただきたいです。
![](https://assets.st-note.com/img/1704546773500-z9tEetr0kd.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1704546812706-3cj98B3Q4T.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1704546827399-4RwYluQOl2.jpg?width=1200)
鳥居をくぐると拝殿。
拝殿は至って質素。
![](https://assets.st-note.com/img/1704546873387-xLg9uCXQai.jpg?width=1200)
大切なのはその奥に祀られるご神体。
いつからあるのでしょう?
手力雄の時代から?
いつか聞いてみたい。
![](https://assets.st-note.com/img/1704546924418-b8qPHDd89m.jpg?width=1200)
拝殿右横を登って行くと、
奥の院があります。
小高い丘のような(おそらく古墳)上に
祠が二つ。
こちらも、私の中では謎。
誰か教えてください。
![](https://assets.st-note.com/img/1704546979117-u87lJJ4CZE.jpg?width=1200)
手力雄命の塚
そして極めつけ。
拝殿裏を登って行くと、
なんと、手力雄命の塚があるのです。
塚とは墓のこと。
私、こちらの神社には5回くらい参拝してます。
なのですが、塚の発見に至ってません。
なんでかというと、
阿波古事記研究会さんの看板をよく見ずに、
参拝していたから。
よ~く、見て行けば、
親切に、塚の位置の地図が書かれてます。
![](https://assets.st-note.com/img/1704547016396-u7MRq748N6.jpg?width=1200)
そのことに気づいたのは最近。
看板の写真を拡大して見てた時。
皆様は、一度で見つけてくださいね。
これまでも、天岩戸別神社について、
書きたかったのですが、
塚の写真を撮るまでは書かんとこ。
そう思い、もったいつけてました。
しかしながら、前回の立岩神社の流れから、
これは、このタイミングで書かなあかん。
そう決断した次第。
天岩戸別とは、
天の岩戸から分かれたという意味。
憶測すると、前回の立岩神社が天の岩戸。
そこから分かれて各地に祀られたのが
天岩戸別が冠に付く神社。
そういうことだと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1704547186147-z20aVzqz18.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1704547201698-X7JNQm8gAx.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1704547215705-GStpcc0wlN.jpg?width=1200)
神社の雰囲気については、
個々に感じ方が違うでしょうから、
是非、ご自身で体感してみてください。
私は大好きな神社です。
道は細いので、心配な方は
大きい車でない方がよいと思います。
大きい車でも行けるには行けますが。
くれぐれも安全運転でお願いしますね。
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