プロとアマの違い
マイルスは、音楽雑誌でフレディー・ハバードについてこう評している。
「彼は上手い奏者。ただ音数が多い。これはテクニックの練習のし過ぎ。その成果をステージで出そうとしてしまう。そうするとテクニックが先走り、曲が何を言いたいのかを見失ってしまう」。
それに対して「貴方は練習をしないのか」という質問に
「私は練習などしない。練習はステージの上だけだ」と答えた。
当然これは大袈裟な言い方で、マイルスも血の出るような練習をしている前提の答えに違いない。数えきれないフレーズを身につけ、引き出しを揃えてから、あとは「引き算」の奏法。音楽に対するプレイヤーの心構えを考えさせる答えであると思料する。
(フレディ・ハバードがアマと言っているわけではない。マイルスの感想を述べただけ)
下手なプレイヤーほど音を出したがる事も同様で、無駄な音がやたらと多い。ギターを覚えたての中学生のように、マシンガンのように止めどなく音を立てて演奏するプレイヤーに出会うと、たいていが自分のフレーズを持っていない。指癖で、どこかで聴いたことのあるフレーズの応酬。とにかく間を埋めたがるのだ。散漫な音が溢れているだけで、ノイズにしか聞こえない。無音の芸術を知らないのか。これは音階の無いドラムも一緒。
ドラムなんて乱暴な言い方をすれば、リズムキープと打った時の強弱しかない。だから、数打ちゃいいってものではないのだ。手先だけで悦に浸っているプレイヤーの大半はリズムがガタガタな人が多い。
プロとアマチュアの違いってこういうところだと思う。
以前レコーディングでアコースティックギターのミドルテンポの曲をプレイしていた時、特段難しくないコード進行であったが、5分弱の曲をしっかりと弾き続けることが出来ず、苦労した。本当に簡単なコードでも、できない。
ライブでは難なく、その場のノリで意気揚々とプレイしていたその曲は、クリック音を聞きながらリズムを乱すことなく、且つグルーブを出していかなければならないというプレッシャーでメタメタになった。
アコースティックギターの名手・吉川忠英が1日に3つのレコーディング現場を“はしご”しているテレビ番組を見たことがあった。
吉川忠英はレコーディングブースに入り、渡された楽譜を見て、ギターの演奏を行う。その内容は簡単なコード進行をアルペジオ奏法しているだけ。2テイクぐらいでOKが出た。難しいアルペジオでもなく、ギターソロもない。そんなシーンを見ていてその時は「簡単な仕事だなぁ」なんて思っていたが、いざ自分がやるとなると、こなれた曲でさえまともに弾き切ることができなかった。
レコーディングとライブは全然別物であるし、レコーディングは時間に制限があるプレッシャーもあり、影ながらの練習や基本ができていないと太刀打ちできない大きな壁であると痛感したものだ。
そしてこれもプロとアマチュアの違いである。
耳がちがう。
これは絶対音感が無ければならないということではなく、外れた音、ピッチのずれなどが瞬時にわかる人のこと。相対音感は必要か。
チャーがまだJL&Cの時のライブでのこと。
「今から中国の名曲、チュー・ニングをやります」なんてくだらないジョークをよく言っていたが、「くだらねーぞ!」なんていう客の野次が飛ぶと「おまえ、これ基本だからね」なんて真面目な声で言っていた。チャーは特にフェンダー・ムスタングなんていうチューニングが安定しないギターを弾いていたから、ピッチが少しずれていてもすぐに直してしまう研ぎ澄まされた音感を持っていたのだと思う(そういえば、チャーがチューナーを使っているのを見たことがないな)。
たいていアマチュアのバンドを見ていると、このチューニングが出来ていない。必ずと言っていいほど誰かの音がずれている。挙句はヴォーカルもフラットしていて、聞いてられないことが多い。プロとアマチュアの違いである。
どんなプレイでも共感を得ないと、それはプロの仕事ではない。自分たちだけが楽しんでプレイしているのは遊びであり、趣味であり・・・。
客を楽しませて、客を驚かせて、客を感動させて、客が金を払ったことを後悔しないように考えられる人がプロなんだろうね。
どの立場で物言ってんだ、という声が聞こえてきそうだけど、自戒をこめて精進しようと思うのでした。てへっ。
2020年1月8日
アマチュア代表 花形