『VANISHING POINT』 小山卓治
1980年代の半ば、日本の音楽シーンは“O”というイニシャルがキーポイントになっていた。期待の新人として尾崎豊、大江千里、小山卓司の3人がデビューしたからだ。安定的な人気を誇るハウンド・ドッグの大友康平や大沢誉志幸もいたが、この時の“O”は新人3人のためにあった。
3人の中で頭ひとつ出ていた尾崎豊は、ティーンエイジャーの代弁者として確固たる地位を築いていた。高校を中退し、ドロップアウトした若い狼は、やり場のない不満を歌詞にぶつけた。世間、家族、規則・・・全てに噛み付いていった。そしてそんな彼は、優しさを求めるため、切ないラブソングを歌う。そんな等身大のアーティストが出てきたことで、ティーンエイジャーのカリスマになっていく。
大江千里は男ユーミンと呼ばれるだけあって、ポップソングでティーンエイジャーを席巻した。ルックスも大学生がサークル活動をしているような気軽さがあり、お手軽なポップソングが女性ターゲットにマッチした。そして、80年代という玉虫色の音楽地図に一番溶け込んでいた。
3人の中で小山卓司は一番無骨に映った。歌の内容もさることながら、年齢不詳の風貌と、尾崎とは違った苛立ちを常に抱え、尾崎が常に爆発しているのとは対照的にどこか不貞腐れている印象があった。やり場のない苛立ちというよりも絶望的な結末が似合うといえばいいか・・・。
小山卓治は8ビートを基調としたシンプルなロックンローラーだ。丁度この頃の日本のアーティストは、佐野元春や浜田省吾といったシンガーソングライターがスプリングスティーン・チルドレンといわれ、小山もその一派に含まれていた。
歌詞の内容もストーリー仕立てのものが多く、ハードボイルドの世界をブルージーに歌わせたら、キャラクターにピッタリマッチしていた。弾き語り、ピンスポットライト1本で勝負できるアーティストは彼が出てきた80年代初頭には数えるほどだったので、前時代的な香りもした。そういうところが3人の“O”のダークサイドを担っていた。
当初はCONXというバックバンドを従え、ビートロックをパフォーマンスし、バックバンドをDADに変えた80年代中盤からツアーで全国を廻るようになった。ライブアルバム『On The Move』(1987)はしっかりと当時の小山の世界を再現していた。
「アスピリン」「傷だらけの天使」「フィルム・ガール」といった作品は小山の世界をよく表し、ライヴのツボを押さえた名曲である。
先のライブアルバムから半年後に発表された『VANISHING POINT』(1987)は、ライヴで鍛えられた演奏と小山の世界がマッチした集大成的な作品である。何かを模索している、行き場のない叫びを感じ取ることが出来る。
「Yellow center line」のエンディングの歌詞がこのアルバムを顕している。
Yellow Center Line
思い出をひとつ落とすたび
Yellow Center Line
星がひとつずつ光りだす
Yellow Center Line
もうこんな遠くへ来ているよ
Yellow Center Line
本当にいい時はこれからさ
最後の言葉は救いの言葉ではなく、絶望の言葉に聞こえることも小山の詞らしい一面である。
2006年3月13日(月)
花形