見出し画像

『黒船』 サディスティック・ミカ・バンド

 ザ・フォーク・クルセイダースを解散し、ソロ時活動を始めた加藤和彦は、数枚のアルバムを発表する。時代は1970年前半のことだ。加藤は時代の音を読む天才で、日本の中で誰よりも早く欧米の動きを押さえていた。拓郎の「結婚しようよ」のバックに流れるスライドギターのプレイもそのひとつ。当時誰も名前を知らないライ・クーダーを研究し、彼の得意とするプレイ(スライドギター)を加藤自らが行なっている。
 レゲェやグラムロックが世界的に流行した時も、すぐにその音楽に身を傾けた。頭を金髪にし、ギブソン・フライングVをかき鳴らしていた。日本では、“貧しいけどおでんを買って、石鹸をカタカタいわせながら四畳半のアパートに帰る同棲の2人”という音楽が大流行していた。そんな中、加藤は次なるターゲットを睨んでいた。
 加藤はサディスティック・ミカ・バンドを結成する。結成当初、メンバーは流動的で、ドラムやベース、ギターまでもが入れ替わった。今でこそ日本のロックというジャンルが確立されているが、当時のロックは、サブカルチャーであり、マイノリティな音楽であった。だからロックバンドだけで食べていけるほど日本の軽音楽は成熟していなかったため、バンドという概念よりもミュージシャンの集まりなので常にスタジオや他のグループでも活動しているミュージシャンが行き来していた。加藤もそれを承知でいろいろな実験を試みていた。そして、最終目標として、日本のロックバンドとして海外デビューを画策する。ロックというジャンルで勝負するなら、世界に出なければ意味が無い。加藤は勝負に出た。

 『黒船』(1974)である。イギリスの名ディレクター&エンジニアのクリス・トーマスを迎え、江戸末期の黒船来襲をコンセプトに制作されたアルバムである。日本発売の翌年には『Black Ship』のタイトルでイギリスでも発売。海外で本格的に発表された“日本発”のロックアルバムである。高橋ユキヒロ(Dr)高中正義(G)今井裕(K)小原礼(B)ミカ(Vo)そして加藤和彦の5人がそれぞれに曲をもちより、江戸に来襲した黒船を、あたかも洋楽が日本の軽音楽を席巻したことに見立て、ロックミュージックを奏でている。何か得体の知れないものが海を渡ってくる緊張感。そして、日本人が見たこと無いくらい大きな黒船(ロック)。日本に欧米文化が入り、生活が変わるその空気をR&R、ファンク、ポップソング、R&Bそして壮大なインストなどの多様な音楽で表現している。そしてその音が散漫にならずに展開している点は、コンセプトがしっかりと打ち出されている証拠である。
しかし、この頃のロックアルバムは話題にはなるが、商業的に成功したものはほんの一握りであった。このアルバムも「タイムマシンにお願い」や高中がいまだにライヴのアンコールで取り上げる「黒船(嘉永六年六月四日)」といった作品を収録しているが、商業的な成功というより、海外への基盤を作った作品として捉えられている部分が大きい。

 その後、彼らは実際にロキシーミュージックの前座としてロンドンツアーを敢行している。観客の反応もよく、会場によっては彼らの方が盛り上がった所もあったようだ。この時の模様は『LIVE IN LONDON』(1976)として発表された。東洋のロックバンドが来たことだけでもニュースになる時代。予想以上のテクニックとパフォーマンスにイギリスっ子がビックリしたのだ。音楽専門誌は特にミカのパフォーマンス、高中、後藤のテクニックを絶賛していた(渡英時、ベースは小原礼から後藤次利に代わっている)。
 そんな中、思わぬ方向でバンドは空中分解する。加藤とミカの離婚である。アマチュアバンドじゃないんだから、そんな理由でこんなに素晴らしいバンドが消滅することに違和感を覚えたが、そんな理由と思っていた僕は中学生だった。離婚という重さが良くわからない無責任な感情である。ミカを盗った男はクリスであることにもびっくり仰天した。日本のバンドに侵略した外人プロデューサー、これも黒船といえるか…。笑

2006年1月24日
花形

いいなと思ったら応援しよう!