『ペンデュラム』 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の「雨を見たかい」はベトナム戦争を風刺した歌詞と言われているが、私と友人は別の捉え方をしていた。
そして、その友人はもういない。
2023年10月22日
~CCRの風景~
あの日の自分に逢うために、僕は足を速めた。
忘れかけていた記憶が少しずつ甦り、あの時代を感じることができる場所の前に着いた時、店の中からは懐かしい音楽が流れていた。
あの日の友と別れてからもう20年以上も経っていた。
その友から突然の連絡。どこで調べたのか、電話の向うに聞こえる友の声は、ちょっとだけ年輪を重ね、ハスキーになっていた。
「最近、どうよ。」彼の口癖は20年前と一緒だ。
当時と変わらないヘアスタイルに白髪が交じり、顔には年輪に不相応なシワが刻まれていたが、時々見せる“えくぼ”はあの時のままだ。
その日僕たちは、深夜まで語り合った。僕と彼とは、中学と高校そして何にも属さなかった2年間、合わせて8年間を過ごした。その後、彼はアメリカに渡り、音信が途絶えた。
そんな彼との思い出話は1日という時間では語りつくせない。
BGMはあの頃のアメリカンミュージックが流れていた。
店にあったギターを鳴らし、2人で当時の歌を歌う。CCRは彼の十八番だった。
ジャキジャキとカッティングを響かせながら、ジョン・フォガティのように声をつぶしながら歌う。
彼は、アメリカ人になりたいと言っていたことを一緒に歌っている時、ふと思い出した。
アメリカに渡ってグリーンカードをもらって、向うで生活したいとよく言っていたのだ。
グリーンカードは今、彼の手の中にある。
CCRの明るい歌が店内に響いた。
1960年代後半から1970年代前半の短期間、CCRはアメリカンロックの頂点に立ち続けた。シンプルな演奏とカントリーミュージック、スワンプ・ミュージックを基調としたロックはアメリカ人の琴線に触れ、大ブームになったバンドだ。
シンプルな詩と音がストレートに届く。そして、音楽が歴史に意味を持たせることができた時代に花開いたバンドのひとつだ。社会派とも言われ、ただのガレージバンドではなかった。
彼の歌声は止まらなかった。
「プラウド・メアリー」「スージーQ」「ルッキング・アウト・マイ・バック・ドア」・・・。
ひと通り歌い終わって、一息入れた時、彼は口を開いた。
「俺、手術するんだよ。胃癌らしい。来月あたり・・・。どうなるか、わからないじゃん。だからこうやって会いにきたってわけ。また、来月電話するよ。」
そして、見送られることを拒否し、彼は店を出て行った。
彼と別れた後、店のBGMはCCRの『ペンデュラム』(1970)が流れ始めた。
店のマスターは涙をこらえていた。
アルバムの中の「雨をみたかい」のフレーズ。
「俺は知りたくもない そんな雨を見たことがある奴のことなんて
俺は知りたくもない そんな雨を見たことのある奴のことなんて
晴れた日に降る雨のことなんて・・・」
ここに歌われている「雨」はベトナム戦争のナパーム弾のことを指しているが、
今の僕とマスターには、彼を襲う「病魔」に聞こえた。
2006年9月29日
花形