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ダメ介護士が持つ究極奥義

わたしは新卒から15年、老人介護に携わってきた。
関わった施設は実習やボランティアを含めると15をゆうに超える。
国家資格である介護福祉士も取得した。
実務研修という必須の研修が整備される前のことで、筆記試験と実技試験を真冬に受けたことが懐かしく思い出される。

老人介護の仕事は好きだ。
しかし介護士を志したことはない。
介護士になった経緯を対外的に発信する場合は、きれいにまとめてしまうが実際はちがう。

父を看取ったときに在宅で介護ができたら後悔が少なかったのでは?と感じ、介護の道にすすんだ。

対外的な志望理由(キレイゴト)

高校生のときに父を亡くした。
末期がんで弱っていく父を在宅で診る仕組みは、20年前には確立していなかった。
今なら在宅医療の仕組みや制度も整備されて、末期がん患者が最期を迎える場所を選択しやすい時代になったと感じる。

だがしかし。
わたしが介護士になったのはまったく違う理由だ。
むしろ介護士になるしかなかった、と形容するべきかもしれない。

父の闘病でわたしはわかりやすく無気力になった。
高校受験のタイミングで進路を見失ったきり、未だに進路は見つけられていない。
高校生活の3年間は家族の不和に悩まされて家に寄り付かなくなった。
わかりやすく無気力の次は、わかりやすくグレた

あー恥ずかしい。
究極の他責思考が育っていく。
もう絶対振り返りたくない過去だ。
コーチングを受けたときにも捨ててしまおうと思った過去。

究極の他責思考は、根深かった。
高校卒業のタイミングでも進路は見失ったまま。
学力がなくても入れると有名な専門学校に仕方なく入学。
働くよりマシだと思っていた。

医療事務科に入ったけど、算数からして苦手だった。
簿記の初歩でつまずいた。
落ちこぼれすぎて学科担任にも匙を投げられる有り様。
なにも資格を取れないまま卒業させるわけにはいかないと、担任が一計を案じてくれた。
社会福祉系の学科をいくつか流浪して、なんとかホームペルパー1級を持って卒業できたのだ。

学科担任、マジでありがとう……

そして無気力⇒グレる⇒他責思考⇒究極の他責思考へと育ちきったわたしは、都心の介護施設に就職して親元を離れる。
何度も言うが究極の他責思考が仕事を教わってうまくやっていけるはずがない。
つまりダメ介護士の究極奥義は究極の他責思考……

自分を過信し、自分を見誤り、自分を全力で甘やかす介護士が爆誕した。
その後については連続更新が20回まで続いたら語ろうか。
いや語りたくない。
なんせ先輩方にも看護部長にも介護課長にも迷惑をかけまくった。
究極の他責思考だった当時のわたしは周りがすべて悪いとおもっていたけれど、そうではなかったことが今ならわかる。

コーチング、マジで大事。
マジで室さんありがとう。
これ受けなかったら最悪、まだ究極奥義を持ったままのダメ介護士だった。
わたしと究極奥義を持っている方はマジでコーチングをおすすめする。
変わるわよ(キューティーハニーか)

結局、自分の環境は自分の思考で決まってしまう。
劣悪な環境のせいにしたくなるが、その環境を選んでいる自分に最終的な責任がある。
そうなりたくないなら相応の努力が必要だと知るまでに15年を費やした。
ただの介護士のまま、ビジネスを志す必要のないまま生きていたら、今もわたしは超他責思考ダメ介護士のままだっただろう。

すべての御縁と自分の努力に、感謝。

ダメ介護士だった自分にも、今は感謝。からの未来永劫封印。

もう究極の他責思考にはならない


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