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地方銀行指導部〜田舎エリートたちの選民意識〜第五話

ー 沼の淵


煙草が吸いたい。
と、久しぶりに思った。

やめて十年くらいか。
昔、懇意にしていたプレス加工業を営む取引先の社長と賭けをした。
どちらが長く禁煙していられるか。
社長室のテーブルで向かい合い、お互いに煙草をくゆらせながら、笑いあっていた或る日を思い出していた。
結局、意地を張り通りした私はそのまま禁煙を続けている。

新しい職場に赴任して、まだ四日目だというのに、営業現場での日々がこんなにも懐かしく感じられるとは。

転勤や新しい仕事に取り組むことなど、とっくに慣れたものだと思っていたし、ここまで仕事が苦しいと思ったことはなかった。
新入行員時代も苦しかったが、良い先輩や上司に恵まれ、期待に応えようとがむしゃらに頑張った。
初めての転勤も係替えも、その都度、壁にぶち当たったが、自身の努力と周りの支えもあって乗り越えてきた。

自分なりの仕事の流儀もあった。
「お客様が困ったときに一番に思い出される人間になれ」
上司の受け売りだが、初めてこの言葉を聞いたときは、いたく感動したものだ。

そして、それは銀行内でも同じだと思うようにもなった。同僚や上司後輩が困っていたら助けなければいけない。
人それぞれ、出来不出来やモチベーションの差はあっても、同じ目標に向かって働くチームであることには変わりない。

いままで、そうやって仕事に取り組んできた私にとって、この”指導部”での出来事は衝撃だった。
とても同じ目標に向かうチームなどと呼べるものではない。
異物を排除したいということのみで、団結しているようだ。

木曜会ではなにも決めることが出来なかったばかりか、担当はお前である必要がないとまで言われ、茫然自失となってしまった。

いったいどうすればよいのか。トボトボと夜道を歩きながら、過去の思い出に逃げ出していた私はいつのまにか、自宅を通り過ぎていた。

気落ちしたまま家に帰るわけにはいかない。
そう思った私は自動販売機でコーヒーを買い、無意識のうちに下車したであろう最寄り駅へ向かった。

駅構内のベンチでコーヒーをすする。

なにから手をつければ良いか見当がつかない。
次世代金融は二年目だけではなく全役職員にかかわることだから、そもそも年次を縛ることがおかしいと指摘され、過去の似通った研修内容を踏襲することも許されない。

私の思慮が足りないのか。
過去の資料をすべて読み漁り、その内容に込められた想いを理解すれば、おのずと内容が決まる、と言われたが、歴代の担当者が本当にその境地に至ったのか甚だ疑問であったし、自分がその域まで達するとは到底思えなった。
今のメンバーにしても、それは同じに思えた。

長い間、うつむいていた。
なんども喉元から熱いものがこみ上げるのを必死に押さえ込む。
これが苦しい、ということだろうか。
孤立無援、八方塞がりだ。

うなだれていると、携帯電話が鳴った。

「大丈夫?今どこにいるの?」
ふと時計を見ると十一時を過ぎてきた。まずい、まさかこんなにも時間がたっているとは。

「大丈夫だよ。ごめん。少し仕事のことで考え事をしていたんだ。ほら、仕事量のわりに職場を早く追い出されちゃうからさ。」

「でも、家に仕事を持ち帰えるから早く帰ってくるって、昨日言っていたから。連絡がないから心配したよ。」

「ごめん。もう駅にいるから、もうすぐ帰ってくるよ。おなかへったなぁ。」

そうだ。
大切なことを忘れていた。
私には家族がいる。私の仕事への姿勢を理解し、支えてくれる人がいるじゃないか。
初めて経験するタイプの困難だが、きっと乗り越えられるはずだ。

明日、グループ長に相談することにした。
味方とは言えないものの、彼もこのまま円滑に物事が進まないことは好ましくないはずだ。

グループ長の出勤を駅で待ち伏せて、朝一に奇襲だ。もちろん、他のメンバーの邪魔が入らないようにするための苦肉の策である。グループ長もメンバーの目があると私の相談にのりにくいだろう。

沈み切った気持ちを奮い立たせ、家族の待つ自宅へ向かう。
家に着くまでに気持ちを落ち着かせて、笑顔をつくるのだ。
妻と子供たちに心配をかけないようにしなければならない。
私はこの家の大黒柱なのだから当然だ。
そして、今までの自分の努力と妻の献身を思うと、ここで歩みを止めるわけにはいかない。

玄関を開けると妻が待っていてくれた。
唯一の居場所はこの自宅だけだった。

この時は、自分には帰る場所も帰りを待つ人もいることの意味を分かってはいなかった。

第六話につづく

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