キタダ、詩を読む。…VOL.10 『同じ白さで雪は降りくる』(中畑智江歌集)
2014年11月末に書いた文章です。
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ことばが発せられるとき、そのことばは記号になって事物をはがれていってしまう。
何かを話したり、ものを書いたり、歌を詠んだりすることが
(私自身にとってだが)いつもほのかに悲しいことなのは・・・
永遠に届かないというあきらめをはじめから背負って、
とても宙ぶらりんな感じがしてしまうのは、そのためです。
そこをすごく受け止めてくれる歌を書く人に出会った。
事物をはがれて浮遊した言葉が、すこし傷ついてもとの場所へ帰ってくる。
きっとこのひとも、とても言葉に傷ついて、そしてそんな傷ついた言葉に救われて、
そして言葉そのものを救って(すくいとって)きた人なんだろうと思う。
中畑智江 『同じ白さで雪は降りくる』 より。
レタスからレタス生まれているような心地で剝がす朝のレタスを
表札にとんぼ止まれば照りつつもこの家の姓に影を落とせり
南国の木の実でできたお茶碗がわたしの離島のように在る午後
数えられないもの数多あふれたるこの世それらを数えるこの世
白という哀しみ深く灰色の沼に落ちては沼になる雪
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