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落ち着きなんて要らない。アラサーは、もっと自由でいい!
誰が"30代になったらそろそろ落ち着かなきゃ"って言い始めたのだろう。
私の想像していた30代は、「落ち着いた暮らし」をしているはずだった。生活も安定し、大人としての余裕があって若い頃とは違う“落ち着き”をてにした大人。
でもいざ実際に30代になって思ったのは
20代も30代もそんなに変わりはない
今日は、アラサーになって実際に感じたものを綴っていきたい
【30代になったら落ち着く?】
一体誰が言い始めたのかわからない、
ーー30代になれば落ち着く
というセリフ。
若い頃に思い描いていた“落ち着いた大人”とは、全くかけ離れた生活を、私は今している。
朝から晩までバタバタと、1日があっという間に過ぎていく日々。
恋愛もしっかりしている。なんなら、そこは今でもルーズ過ぎて逆に困っているくらい。
貯金はある。でもそれはあくまで遊んで飲んで幸せになるための貯金だ。
落ち着くって、一体何なんだろう
改めて考えると、本当に頭が痛くなるほどわからない。
もし、「これが落ち着いた生活です」という代表例があるのであれば、ぜひとも教科書に載せておいてほしかった。
【年齢なんて、ただのラベル】
海外で生活を始めたら、年齢への価値が少し変わった気がした。
日本で仕事をしていた時、上司、部下、共々年齢が割と重要で、上司=年上、部下=年下。
万が一部下自分より年上の場合はある程度敬語と遠慮が会話や仕事に配慮されていた。そして、年上なのにかなり下のポジションであった場合は、ナメられる。
ただ、海外で働くと、基本年齢は不詳。
もちろん、聞かれもするし、聞きもするが、それと言って何も変化はない。
年齢を重視するのではなく、その人の持つ経験値、知識量、それらを基本時にはリスペクトするのが普通であるからだ。
年齢はただの数字
それがしっかりと具現化されている。
私はそう感じた。
【落ち着かない人生を、私は誇りに思う】
ーー私生活においての落ち着きとは一体何なのだろうか。
のんびりと過ごすことを落ち着きと言うのであれば、そんなの女子高生にだってできる。
仕事、結婚、子供
これらすべてをクリアしたところで、落ち着きは得られるとは、私は思わない。
仕事は毎日忙しい
結婚は、浮き沈みが激しい
育児は毎日が戦争だ
このすべてをとって、どう落ち着けと言うのか。
地に足がついた仕事を
とはよく言ったものだと思う。
私は今の自分の生活を誇りに思っている。
例え一般よりも低収入の仕事であっても、例え一般よりも、同じ会社で働くことが短いとあっても。
30にもなって、私は未だに、働く店を変えるときがある。
それでも私は、そこに意味があると思って過ごしている。
何故なら、私たちの仕事は、常に新しいインスピレーションを大事にしなくてはいけない。色々ない人からの、アイデアを自分の形へと変えていく必要がある。
同じところで何年も働くことは“落ち着きのある人”である、重要な要素だとは思うが、私はもっと前へ、常に新しくいたい。
結果的に、“落ち着いた大人”と言うのは、存在しないものだと私は思っている。
あるいは、もっとずっと先。
30年、40年先の未来で、私はその意味がわかるものではないかと思っている。
アラサーは、落ち着く必要はない。
むしろ、やっと積み上げてきた自分の軌跡を見直し、新たな自分の人生を構築していく、とても大切で、ある意味嵐のように忙しい年齢だと思っている。