役に立つ歴史とは何か

2022年10月2日に日本語授業の学生たちは「役に立つ歴史とは何か」という問いについて哲学対話を行った。

前回の哲学対話とお同じように学生たちは哲学対話以前に「教育」というトピックに関わる哲学的な質問を考え、自分なりの答えを出した。最近、歴史教育や歴史教科書問題を巡って色々なディスカッションしたので、私に最も気にしたのは「『自虐史観』は実際に存在するものであるか?そうだったら、本当に問題になるのか?」という二つの問いだった。自分の意見を要約すると、「自虐史観」は意味がない用語であり、「自虐史観」と言うものは実際に存在しない。私たち今生きている人々の大多数は歴史上に自国が犯した過ちに直接に参加しなかったので、誇りも罪悪感も感じるべきではないと思う。その代わりに感じるべきことは歴史の過ちをよく研究・納得・認識する義務感と歴史の過ちを繰り返さない(そして、新しい過ちをできるだけしない)ように努力する義務感である。

哲学対話当日に日本語授業に皆さんが考え出した問いの中で私たちが興味になったのは「『役に立つ歴史』とは何か」という問いであった。まず、その質問を考え出したアンダーソンさんが自分が思ったことをちょっと説明してくれて、「役に立つ歴史」とは過去の過ちを繰り返さないように教えを伝えるものであるとおしゃった。次に、マクズウェルさんが「役に立つ歴史」とは悪い意味がある可能性もあるとおしゃった。それから、私たちはいい役に立ち方(例えば国際関係の場合)と悪い役に立ち方(例えば政治の場合)、または「役に立つ歴史」は誰の役に立つのかということについて色々な意見を出し合った。最終に皆さんが同感したのは私たちのディスカッションが巡ったものが「役に立つ歴史」を代わりに「関係ある歴史」と言ったほうがいいかもしれないということであった。

哲学対話に参加した前に、私は歴史が役に立つものであるかについてあまり考えなかった。そして、一般的に歴史家は歴史を価値があると価値がない歴史分かれていない。哲学対話が終わってから二つの考えがある。確かに具体的な状況により関係ある歴史の場合もあるだが、他の歴史は全然関係ないとも言えないだろう。つまり関係ない歴史がない。そして、もっと深く「役に立つ歴史」とは何かについて考えたら、「役に立つ歴史」がいつも悪いことだという意見に達した。それはなぜかというと、私にとって「役に立つ歴史」の意味は「誰かが自分の目的を達したり、利益を得られたりするために利用できる歴史」であるからだ。それは非常に危ないことであると思う。

二つ目の哲学対話は非常に楽しかった。皆さんの様々な意見を聞き、授業のテーマを新しい視点から議論することはとても面白かった。学生たちは今回もお互いに敬意を持って接し、互いの話を大切にしたから、いい経験になった。

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