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ジャン=ポール・サルトル

 

“人間が自分で意味を与えないかぎり、
    人生には意味がない”


彼はフランスの小説家であり、哲学者でもあった。

誰しもが生を受けて、そして誰しもが死んでいく。

それは今、この瞬間にも世界中では
“生と死”は常に満ちている。

何も考えずに仕事だけしている人は、
人生に失敗しやすい。
私の叔父も日本一の大きな会社を作り上げたが、
人生で成功したか? と聞かれると、
微妙だと言わざるを得ない。

しかし、それは私的な意見でしかない。
叔父の友人は私の父一人だけであった。

父の妹であった叔母は癌で若くして
亡くなった。
大きな家と立派な庭園の家に、ずっと一人で
住んでいた。

再婚は基本的にご法度で、それも出来ない。
一人っきりで毎日を生きるだけの人生だった。
高校生から会社を一人で立ち上げ、人生は仕事
と言えるほど、仕事だけを続けていた。

日本一になってからも、暫くは働いていたが、
自分がしていた仕事はしなくなり、
政財界との付き合いを、父の弟である叔父を
会社の相談役として政財界への橋渡しを任せた。

日本でのシェア率は少ないものでも75%で、
多いものになると90%を担っている。

しかし、人との付き合い方が分からないためか、
人生に於いて友人という大事な存在は一人だけ
で、人生の幕は下りたとも言える。

祖父も若くして癌で亡くなった。
大邸宅に祖母は一人で長年過ごしていた。
やはり友人を作るのが苦手で、祖母の場合は
皆無だったと思う。

偉人の場合でも、晩年、孤独に生きた人は
多くいる。
大抵の場合は、人間不信になり孤独へと落ちて
行く。その他は自殺や、暗殺等が目立つ。

一般的に晩年に差し掛かる時に、初めて哲学に
触れる事が多いとされている。
私的にも確かに、晩年で気づく人が圧倒的に多い
とは思っている。

それは何かというと、熟年離婚や仕事を辞めた
後に、襲ってくるもので、晩年の哲学と言われて
いて、そのような孤独な状況になって初めて、

「人生とは何だったんだろう?」と思う人が
多いとされている。

確かに普通に生活しているだけでは、哲学に
触れる機会は少ない。
そもそも哲学が何なのかも、おそらく理解
出来ない人ばかりであるのが自然と言える。

劇的な事を体験から経験へと繋がり、
そこで初めて哲学の片鱗に触れる事ができる。
しかし、それが哲学だとは本人には分からない。
更に熟慮を重ねる事によって、徐々に見えてくる
からだ。

哲学の本や知識は知っている人は多少はいるが、
理解しているのか? と言われれば理解していない
と言える。

これは本を出している人にも言える事である。
あくまでも分かったつもりでいるから本を出して
いるが、理解している人が読めば、
すぐにこの著者は、まだ理解には達していない
と分かる。

“人間が自分で意味を与えないかぎり、
    人生には意味がない”

サルトルのこの言葉は、つまりはそういう事に
なってくる。
人間が生きている時に、自分自身で人生に対して、
何かしらの意味、つまりは生き甲斐や没頭できる
事等が無ければ、ただ生きているだけであって、
その人生の意味を見出す事は出来ないと言っている。

若い頃は問題ない。生きているだけで、
色々な体験をするからだ。

人間は年齢とともに、気づかないうちに、それまで
やっていた事が徐々に減っていくのが普通である。
その為、それに気付けないと、年齢を重ねただけで
何も残らない状態になる。

それを理解している人は、前のめりのように、
敢えて自分から率先して物事に取り組むようにする。
自然に任せたままでは、必ずやらなくなるからだ。

人によって自分の好きな事を続けるので、人によって
やる事に違いはあるが、思いは同じである。

私の場合は、映画、海外ドラマ、音楽、漫画、ゲーム、
これらは率先して見たり、したりするようにしている。

映画では時代背景や感動、恐怖、平穏等の感情を感じ、
海外ドラマでは、今、何が世界に求められているのかが
分かるし、自分の視野も広がる。

音楽は普通に聴く事もあるが、歌詞はユーモアや哲学的
思想の言葉の宝庫とも言えるので、歌詞から生まれる
センスや例える言葉等から、書く事に活かせる。

漫画は好きな漫画だけを読んでいるが、アクションの
描写や、戦い方等を主に参考にしてアクション小説を
書いてきた。

ゲームは元々好きでもあったが、仕事としてもしていた
事から世界のゲーム市場などから日本の位置を見たり
して、差がどんどん引き離されている現状を知る事に
より、今は忙しいのでスマホでソーシャルゲームを
しているが、またオンラインゲームに戻りたいとは
思っているが、おそらく数年はソーシャルゲームを
することになりそうではある。

なので、今はソーシャルゲームの日本人の課金状況を
聞いたり見たりして、プレイヤースキルの低さや、
ベビーユーザーの私が驚いたのは、ライトユーザーの
課金額が異常な事態を引き起こしている事も最近知った。

一ヶ月で10万から20万、課金しているライトユーザーが、
まだいることに驚いた。ライトだからあまり理解して
いない点もあるが、それにしても今でもライトユーザー
にはそれほどまで課金している人の多さには心底驚いた。

プレイヤースキルは当然ながら低く、基本はオートプレイ
なので、どんどんプレイヤースキルは下がっていく。
オンラインゲームの世界ではオートプレイ等無いので、
ソーシャルゲームからオンラインゲームに移行した人が
いたが、全く何も出来ず1日でせっかく買った超高額の
ゲーミングPCは1日だけしか使用しなかったと言っていた。

まあ、それだけ課金者がいるなら、日本のゲーム会社は
衰退していくのは当たり前だと思った。
今はいいが、今でも既に本当のゲームを作れる人が業界
では激減している。
日本は同じ事の繰り返しで、学ぶ事を忘れている。
ソーシャルゲームばかり作っていれば、本当のゲーム等
作れるような人はいなくなる。

ソーシャルゲームも最盛期はとっくに過ぎている。
そんな日本が良い作品を生む事は困難と言える。
だからリメイク版が多くなる。

このままソーシャルゲームばかりを追いかけていたら、
日本のゲーマーはライトが強いという勘違いがどんどん
広がっていくだろう。

実際、今しているソーシャルゲームでも当然、課金したら
強くなる。当たり前の理論であるにも関わらず、
強い人は称えられる。これでは先に待っているのは、
考えることを完全に忘れてしまうことになるだろう。

ゲームは本来、プレイヤースキルを磨き、上手くなるのが
醍醐味だ。それとは真逆の方向に進んでいるのは、
非常に危険であると言える。

“人間が自分で意味を与えないかぎり、
    人生には意味がない”

これもサルトルの言葉に当てはまる。
実際、私は多くのソーシャルゲームをしてきた。
そして、いつもやりたくないのに必ずリーダーに
させられる。

リーダーをやりたがる人は基本的にリーダーが
出来ない人が圧倒的に多い。
リーダーの役割を理解していないから、自然と
そうなる。

事実、分かっている人には何人かチームにいたが、
リーダーだけはやりたくないと誰もが言った。
私もリーダーの役割をするのは嫌だから静かに
しているのに、今回もプレイ開始から10日ほどで
リーダーになってしまった。

何事でもそうだが、このサルトルの言葉は
多くの事に当てはまる。
今の日本人には欠けている事でもあるので、
先延ばしにしていると、あっという間に
人生の終わりまで行ってしまう事になるので、
気を付けて欲しいと願うしかない。

今のソーシャルゲームでは、プレイヤーは
ゲームに支配されている。
プレイヤーがゲームをすると言うより、
ゲームがプレイヤーを支配しているように
感じた。

実に恐ろしいことだと私は思った。

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