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第39話 個性と変わり者の違い

私はよく変わり者だと言われる。そして優しいが甘くは無いとも、私を良く知る人はそう言う。

私はソクラテスがした行動を実践した結果答えが同じであっただけで、彼と同じく、他の人よりは賢い程度で、天才等とは思った事等一度もない。

色々な何の根拠も内容な理論で頭がいいか、等の判別するものを最近よくネットニュースで見かけるが、天才だというもの全てに適合していたが、天才では無い。仮に私が天才だとしよう。その天才が天才では無いと認める以上天才では無い事になる。誰よりも正しい答えを出す天才がそう言うならそう言う事になる。まるで簡単な迷路のように馬鹿げた事だ。

人はよく個性ある人や変わり者などに惹かれやすい反面、避けられやすくもある。これは個人的によく通うダーツバー起きた事だが、人を見ずして会話でだいたいどんな人間か等は分かった。

私は以前から後ろにも目があるのか? と聞かれる程、人生から生まれた一つの能力のように、瞬間的に空間を把握できる。

ある日、30歳未満程度の男女が入ってきた。一切目を向けなくてもそれは分かるのだが、問題はその二人の目的まで分かってしまう事にあった。いつからかは忘れたが、環境のせいで身についたのであろうか、私は二人が入ってきて男は後ろの席に座り、女性は私の隣に座った。鋭い感のような感覚で、二人が入って来て1,2分程度で目的は直ぐに分かった。

自分の女を他の男に抱かせるのが目的で、それを盗撮して脅すのかどうかは不明だが、とにかく自分の女を他の男に抱かせるのが目的だと直ぐにわかった。

私は常に気を張って警戒しつつ、本当の顏を見せる事無く、仮面をつけて育てられた。それは家の中でもそうであった。本当の自分を出すとそれは間違いだと言われた。だから空気のような仮面をつけて生きて来た。そうしなければ、殴られるからそうしていた。それは身についた特殊なモノで、初めて東京にきて病院に通った日に婦長が誰か分かった。

病院の婦長には強い権限がある。医者は基本的に医学に人生を費やす為、他の能力は無能に近い。全てを他の人に任せる癖がつき、更に何もやらなくなる。あくまでも男の医者に限るが、医者よりも権力が強い場合もあるほどの事も実際にある。

これも海外ドラマのメンタリストで主人公のジェーンは犯人捜しの時に、どの医者がいいか? と、婦長やその他の看護婦に尋ねた。彼女たちに色々聞き終わった後、ジェーンは婦長に言った。「影の実力者はあなただ」
海外ドラマのメンタリストでは、このように特別な世界のような知っていなければ、何とも思わないような事が多く使われている。

これは通常では非常に珍しいと言える。映画や海外ドラマは基本的に誰が見ても分かるように制作される訳であって、だからこそ監督は最低でも第三者目線から見なければいけない。名監督なら第四目線から見て制作する。

一見、難解そうなキャッチフレーズをつけて、観客動員に対して見て分かれば賢い? と言う簡単な心理戦で多くの観客を動員した映画も少なくない。
ブルース・ウィルス主演の「シックス・センス」等は見事に大勢の観客を動員する事に成功した。

人生を見てきて思うが、よく平凡な人を見ると、こっちの勝手な想像ではあるが、暇な人生ではないのかなと思ってしまう。
当然のように話も不通で、実に暇でしかない。適度に相槌をうち、相手のフィールドに置いても、知識はこちらが上の場合は、知らないフリをする。

ある時、女の子が話しかけてきた。私に話しかけられるのは、なかなかいない。常にバリアを幾重にも張りまくって人をなるべく近づけないようにしている。よく知る友人たちはそれを皆知っている。

その子は変わり者だと言われてショックだったと、私に話しかけてきた。
私は「それは褒め言葉だろ?」と言ったら「そうなの?」と彼女は言った。

「俺はたまにしか褒めないが、それは褒め言葉として使ってる」と言うと、
「そうなのかな? 変だってことじゃないの?」と聞いてきた。
「確かに変だと言うと変になるけど、変わってるってのはちょい違うな。飽きない子とか、話し上手な子とか、不思議な世界観を持ってる子に俺はいうかな。普通なのが俺的には一番つまんないと思う。個性だって言葉を変えれば変わっているとも取れる」彼女は嬉しそうにどこかに行った。

最近の私は、珍しく何事も無く平凡である。実に気持ちが軽くて翼が生えそうなくらい気分は楽だ。カウンセラーにも言われたが、人生の三回分くらいはもう色々経験はしたし、色々な珍事を体験した。

個性のある奴等ばかりだった。そのせいか、今、東京で死人が歩いているのかと思うほど、皆、疲れた顏をして動いている。よく言う言葉だが、まさに
夢も希望も無い顏つきで只々歩いている。

変わり者も個性の1つだ。人間を例えるなら色や花が良い。例えやすいし、
言われた相手も多くの人は喜んでくれる。人の笑顔は何とも言えないが、
幸せな気持ちになる。恋人であろう男女が仲良く手を繋いで歩く姿は、
実に私まで幸せにさせてくれる。電車で母親が私の隣の席に子供を座らせた。普通にどうぞと言って席を譲ったが、当たり前の事すぎて何も感じなかった。いつもよくいるドアに密接するようにして外を眺めていた。

私の中にいる、私の人生の負を閉じ込めている番人は非常に賢いと思った。
同時に仕方なく感情の多くも閉じ込められた。

しかし、苦戦はした。それは一カ月ほどは、今とは別人だったから分かる。
簡単な問題では決して無かった。私も既に負の負の果てしなき底の無い暗黒の世界まで落ちていた。ずっと何度も悪夢しか見なかった。同じ悪夢の夢を一日に何度も見た。それは覚えてはいるが、負の感情も閉じ込めた為、今思い出しても苦にはならない。

私には出来なかった事を、私の人生を見て来た傍観者のような私の分身は、私を活かす為に智慧を絞って、私を助ける為に頑張った。実に見事な方法だとは認める。あくまでも比喩であって、私は別に自分と会話をするような精神が壊れているような奴とは違う。

個性も残ったし、哲学とある程度の賢さも残った。私には分からないが、この程度が丁度いいのだと思う。一度だけもう一年前だが、私は自分がこんなに弱い訳があるか! と己を奮い立たそうとしたことがあった。

愛犬を父親に毒殺された事を思い出して、私が壊れてから何年も経っていたが、初めて涙がでた。悲しみで涙が止まらなかった。感情が溢れ出た。同時に例えようもない苦しみが襲って来た。最大限の苦しさと恐怖が私を一気に支配して私は恐怖で死ぬかと思った。私は暫く真っ暗な部屋のベッドの上で10分ほど息を整えつつ、無の世界に入った。

私はその時に知った。感情は消えて無くなったのだと、それまでは思っていた。酔っ払いにからまれて、殴られまくっても何も感じなかったし、道路を挟んだ向こう側で、ホストに殴られて顔面を蹴られている女の子を見ても、助けようともしなかった。だからもう私には感情は消えたのだとずっと思っていた。

しかし、そうでは無かった。怒りの感情や多くの負に関わる感情を、私の中にいる私が閉じ込めていただけだったのだと、去年、初めて知った。あれ以上の恐怖は感じた事が無い。本当に恐怖に殺されかけた。

その二日後、体に負荷をかけ過ぎた為か、急性心不全になった。だが、あの恐怖と比べれば何てことは無かった。確かに死を感じるほどの苦しさはあったが、苦しいだけで恐怖は無かった。その後、慢性心不全にもなったが、私は最大の恐怖を知っている為か、その程度では死なないと思った。

私の場合は特殊だ。ストレスで漫画のように全てでは無いが白髪になる時点で、とんでもないストレスだ。体内出血もストレスから来るのは異常だ。ストレスから発生している為、薬も効かない。

私は私と決着をつけるまで終わる事の無い戦いだが、あれ以来、脈は弱くなった。一度、保健士の人が、脈を図らせてほしいと言われて腕を出したが、何度も何度も場所を変えて首を傾げていた。弱すぎて指ではその振動は伝わらないほど弱いのだ。それは今も変わらない。だが人生を愉しんで生きている。

人間に生まれた。人生は愉しもう。苦しみがあるなら友人に話して泣けばいい。それだけでケジメをつけられる。本当に苦しい時もある。誰かにその苦しみを共有してもらって、苦しみから解放されればいい。

人は皆、何かしらの悩みを抱えながら生きている。だからこそ人は孤独にはなっていはいけない。十分にそれだけは味わってきたから断言できる。

恥ずかしがらずに自分を出して、人と違っても自分として生きよう。
個性は決して悪いものではない。変わり者も同じく、悪いものでは無い。
自分が人と違うのは才能だと思えばいい。才能は希にしか与えられない。
人生から才能が生まれ、普通とは違う者へと変わるが、恥じる事ではない。
自慢できるものだ。自分に自信を持って生きて行く事が大事だ。


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