見出し画像

レオナルド・ダ・ヴィンチ

”鉄が使用せずして錆び、
水がくさりまたは寒中に凍るように、
才能も用いずしては損なわれる”


誰もがその名を知る人ではるが、彼もまた苦悩の末に
生まれたからこその言葉である。
彼が何をしたか? と聞かれた場合、画家やモナ・リザ
最後の晩餐、等の答えが多いと思うが、彼を深く知る人に
尋ねれば、恐らく考え込む事になるだろう。

確かに画家として世界に名前を残した人物ではあった、
彼の才能はそれだけで無かった。

ルネサンス期を代表する芸術家である事は誰しも
認めるところではあり、現在に至っても史上最高の
画家としての名声は衰える事無く評価され続けてきた。

しかし、ダ・ヴィンチは数えきれない程の多くの分野で
活躍しており、人類史上で最も多才とも
認められている人物でもある。

これは自分を信じて、やり続けるしかないという意味であり、
才能を埋もれさせるのは人生において、
自分や世界にまでも影響を与えかねないというものである。

才能だけあってもそれを磨かずに、打ち込まなければ
才能は埋もれてしまい、大きな損失だという事だ。

アメリカの美術歴史家であるヘレン・ガナーはダ・ヴィンチ
についてこう語っている。
「レオナルドが関心を持っていた領域の広さと深さは
空前のもので、レオナルドの知性と性格は超人的、
神秘的かつ隔絶的なものである」と評している。

しかしマルコ・ロッシの意見は違いはあれども、
高く評価している事には間違いないもので、
彼はダ・ヴィンチをこのように言っている。
「レオナルドに関して様々な考察がなされているが、
レオナルドのものの見方は神秘的などではなく
極めて論理的であり、その実証的手法が時代を
遥かに先取りしていたのである」

彼等以外も大勢の人がダ・ヴィンチの評価をして
いるが、そんな彼も死後に評価された一人である。

死後から高く評価されるようになったのは、
実は近年といえば近年になる。
彼の死後、約380年経った19世紀に入って、
手稿が研究されてからである。
20世紀になるとレオナルドは
その個性から神話化され、
ビジネスの対象となってしまい、
過大評価がなされていると考える
美術史家や科学史家も多いが、
それでも、彼が凄い人物であった事だけは
確かである。

彼を題材とした映画、トム・ハンクス主演
『ダ・ヴィンチ・コード』
は多くの人が見た映画であると思うが、
レオナルドの謎に迫る映画でもあった。

私から見て、ある種、アインシュタインの
ような天才肌であったように、今にまって
ようやく活用出来ている事を1519年まで、
多くの事を既に理論として成していた。

科学的創造力の面でも畏敬されている程の人物で、
ヘリコプターや戦車の概念化や、太陽エネルギー
の実用化等、上げればキリがない程、多くの事に
対して貢献した人物でもあった。

彼は生前にはそれほど評価されずにいたからか、
苦悩から生まれたか、どちらにせよ、自分を
例えてもいる言葉である。

”鉄が使用せずして錆び、
水がくさりまたは寒中に凍るように、
才能も用いずしては損なわれる”

それと同時にこの言葉は、我々に対しての警告の
メッセージとも受けれる。
どちらの意味も含めたものだと私は思う。

人間は誰しも、完璧では無い。
どんな人間も辛い時期もあれば、幸せを感じる時
もある。しかし、彼ほど多才な取り組みをしていても
評価に値しなかったのは、彼の考え方そのものが、
当時の時代背景を物語る。

それはいつの世でも必ずいる存在ではある。
今もおそらく我々が知らないだけで、存在するだろう。

最先端の思想を持つから評価されない事は多々ある
事だ。

例えば、ゲームセンターや家庭用ゲーム機等を開発
していたセガもその一つと言える。

まだインターネットが東京でも普及していない頃から、
オンラインゲームが出来る機能を持っているセガサターン
等を発売した。

レオナルドやアインシュタインとは違うのではあるが、
時代を考えずに出した為、それほど売れなかった。
その後も家庭用ゲーム機を出したが、先取り過ぎて
ユーザーの反応は薄いものであった。

結局、現在ではゲームセンターからも看板を下ろす
結果となり、ゲーム開発に関しても下火と言える。

ゲーム開発に関しては、日本全体的にそうである
ので、何とも言えないところではあるが、
やはり、独自路線を変えずに年齢に関係なく楽しめる
という思いを持って作っている任天堂の一人勝ち状態
なのは世界も知るところである。

一時期、売れ行きが怪しかった時期もあったが、
自社の方針を変えず、その壁を乗り越えて今がある。

自信と不安があるからこそ良質な作品が生まれる。
不安は追求する心を生み、
自信は絶対に成し遂げて見せるという心を生む。
だからこそ、この二つの思いは何に於いても、
役立つものとなる。

”鉄が使用せずして錆び、
水がくさりまたは寒中に凍るように、
才能も用いずしては損なわれる”

それも踏まえて、この言葉を見れば、
才能だけあっても、それ活かす場が無ければ
無に帰すという意味だと分かると思う。

過去の彼等の英知は、現代の我々にも大きく
貢献しているのは確かな事である以上、
その才能は我々が評価できる範囲を超えて
いるものだと、私は思っている。

後からは何とでも言えるからそう思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?