フランシス・ベーコン
”優れた質問は知恵の半分と言える”
昔から人は理《ことわり》を探し続けて
生きてきた。
より良くするためには、
幸せを得るには、
これは時代に関係なくいつの世にもある疑問だ。
私はある種のジャンルにゲームが上手いから
スカウトを受けてフリーとして働いた事があった。
私は当時から分析力に長けていた。
自分に近い賢さを持つ人は、
インタビューや会話からそれに該当する人は二人いた。
私は予知能力はないが、分析力に優れているため
よく相手の会社の事や未発表の事なども当てていた。
誰しもが不思議に思ったことが
あるかどうかは分からないが、
雑誌が何故同じ系統でも複数でているのに対して、
疑問を感じたことがあるか、今考えたはずだ。
当然、好みもあるが、仮に5社の雑誌会社に
メーカーはページ数を依頼し、同じ情報を送るとする。
それは画像であったり、被る内容のものだ。
しかし、インタビューの特権として
インタビューで得たネタは、
そのインタビューした会社の独占記事として
載せることが出来る。
それが同系統が数社ある大きな違いと言える。
私は特ダネを何度も当てた。
相手が驚くような内容も当てていた。
そこの総合プロデューサーが、
私の見立てでは近い賢さがあった。
自分ならどうしていくかと考え、
会社の方針や、面白みを増やすには
どうするか等をあちらサイドの立場に立ち考える。
私は裏方として、インタビュー内容や、
お披露目会場の質問などを考える仕事だった。
自分に合ってしたし、非常に楽だった。
”優れた質問は知恵の半分と言える”
これはつまりはそういうことだ。
人を見抜き、嘘が下手な人、
正直な人を私の場合は逆から見ていく。
通常、人は結果からしかその人物像を見ない。
肩書から人を見る。
だが、それでは不確かな事が多すぎる。
スノーデンがいい例と言える。
彼の事を知らない人は居ないと言えるほど、
近年で起きた事だ。
2013年の話なので、
もし知らない人は知っておいたほうがいい。
2013年に起きたことではあるが、
すでに映画化もされたほどの大きな事件であった。
私の好きな俳優の一人である
ジョセフ・ゴードン=レヴィットが
エドワード・スノーデン役を演じていて、
ラストには本人も映画の中で登場して
語る場面があった。
日本でも彼を指名手配犯として報道した。
アメリカの犬に近いから仕方ないとは言える。
そして彼は親日家である。
ゲームの鉄拳のファンだからかどうかはわからないが、
彼が世界で国際テロリストとして、
ニュースに流れている時、私はバーで一人で飲んでいた。
その時、明らかに頑張って逃げ切ってほしいと思っていた。
彼が何故追われたか、ネタばれになるので控えておくが、
近年で最大の実話であり、
現実を知らない人は現実を知ることになるだろう。
私はずっと真実を知っていた多くの中の一人に過ぎないが、
日本は海外ニュースの規制が入るため、
ほとんど報道されてない事実や、
アメリカの言う通りに流すこともある。
世界中の人間が平和になることはないのが現実であるが、
それを実現させようとする人も大勢いる。
矛盾に満ちたこの世界で、我々、日本人が
出遅れているのが現実である。
「人の野心は、人の価値を越えてはならない」
このセリフはジョン・ウィックのコンセクエンスという
映画で、キアヌ・リーヴスのアクション映画の中に出た
言葉である。
この言葉の意味は実に奥深いと言える。
人として、野心や願望等があったとしても、
人間の価値を越えるような真似をするのは
間違いだと言っている。
ここで難しいのは、例え可能であってもという
ものになる。人類の過去を振り返れば分かるはずだ。
日本人の目を蔽いたくなる事件は、
出来るからと言ってやってしまった事件は
忘れる事が出来ないものもある。
実際、世界でも民から好かれる独裁者等は
ほとんど存在しない。
仮に選挙で大統領になったとしても、常に命を
狙われ続ける事になるからだ。
大いなる事をした人や、大いなる希望を持つ人には、
常に命の危険さえあるほど、敵も大勢いる。
大した事の無い大統領等の場合は、逆に利用する
方が楽であるし、半ば言いなりに近い存在になる
ため、命の危険も無くなる。
人徳者や国や世界を変えようとする人ほど、
敵も増すのはそういう意味もある。
実際に暗殺された人も大勢いるし、
昔にはなるが、日本のホテルに滞在していた
海外の重要人物が暗殺された事もある。
人の命の価値に関しては、何とも言えないが、
現実的に見て、優れた人間の命は大事であると
されるのが世の中だ。
フランシス・ベーコンの、
”優れた質問は知恵の半分と言える”
この言葉は実に確かなものだと言える。
優れていなければ出ない質問は世界での
問題として取り上げられるし、
その内容は誰もが思いつくものでは無い。
そういう見地から見ると、優れた人物の言葉は
実際に、大勢の人間の成長の手助けをしてきた
と言える。
優れた質問は、常識人には出て来ないものが
多くある。物事を縦にしか見ない人にとっては、
横から物事を見るだけで、違う世界が生まれる。
そう言う人物たちによって、世界中の人間たちの
成長は成されてきたが、今の世界を過去の偉人が
見たら失望するかもしれない。
よく人は言う。「今年は悪い年だった」等のように
今年と何故か区切りをつける。
だが現実には、区切りをつけるべきなのであるかと
思ってしまう。年々問題が増している以上、
これは世紀的な時代と捉えて見なければならない
問題になっていると私は思う。
少なくとも、我々の時代はまさに、そう見るべきで
あるのではないだろうか。