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第42話 幸せと不幸の関係図

幸せより不幸が多く感じるのは何故だろう。それは事実なのか? それとも最終的に不幸になるからそう感じるだけなのか?
ある哲学者は言った「人生には不幸のほうが多いと」しかし、本当にそうなのであろうか?

幸せの定義にもよるが、日本限定で話そう。我々には日本以外は遠い存在だからだ。日々の暮らしの中で、幸せや楽しい事も沢山あるはずだ。しかし、最後に不幸になるとそれまでの幸せが嘘のように破裂したように消え去る。

だからと言って幸せが減る訳では無い。結果的に不幸になったというだけである。人は不幸に対して弱い生き物だ。だからそう感じるのだと私は思う。
人の人生はその繰り返しのようなものであって、中には取り返しのつかない場合も少なくない。そう言った意味では高齢になって事故死などで死を迎えるのが一番いいのかもしれない。

私は父と最期は決別し、壮絶な戦いをした。だからよく分かるが、全ては最後に決まる。父は癌になってからは、悪魔が乗り移ったかのような凶行を繰り返した。弟殺害計画、愛犬を毒殺させ、全てに終止符を打った。

人間の本性は悪だと言わんばかりに、酷いものであった。自分以外の全ての保険を内密に解約し、自分が生き延びる為には、最高の設備や医者等を権力のある叔父に言って揃えさせた。

昔、一度父と会話をした中で、私は歴史について話をした。父は黙って聞きながら、話し終わると、「それはいつ起きた?」と聞いてきた。私が
曖昧に答えると、「それじゃあ意味がない」と言われた。

この会話から分かる事は、まず第一に、父の脳は勉強脳が色濃く出ている事と、それに対して私は物事の終始の間である過程にこそ意味があると言う事である。

しかし、父の最後を見て、私はやはり人生の過程こそに意味がある事を知った。当然、結果がつけば言う事は無いが、過程無くしての人生では、幾ら年齢を重ねても、その中身は薄く、友人も少なく、最後には無様な姿を晒す事となった。

私はそれまではそれなりに幸せであったが、父の凶行が始まり、人生数回分の不幸が私を襲ってきて、恐ろしいほどの状態になった。精神も崩壊し、それを裏付けるように年齢的に黒髪しかいない世代の中、白髪へと変わっていた。内臓は裂け、血が数年にも渡って出続けた。消化機能低下もし、小腸の働きである栄養吸収の機能も停止し、便は緑色だった。

幼い子にはよくあるが、緑便が出るのは小腸の働きが低下している、または成長段階であるために起こるのだ。

幸せのほうを多くするには、人生に於いて過程を大事とし、人間的な成長が欠かせない事になる。自己啓発も実際、生活の中に取り入れているのは、ほんの僅かな人しかいない。

意味のある事を知ったならば活用する事が大切である。しかし、当然ではあるがそれを成すのは難しい。私はいつも自分の知識の範囲で事を片付けるが、毎日知らない事を最低1つは知ると言う事を実践している。そのおかげもあって、対処に困る事は少ない。

自己啓発の事も、ある人物の言葉がそれを成す事を成功させた。
その昔の人の言葉は「習慣にしてしまえば、それは自然と身についていく」と言うものだった。確かに朝起きて歯磨きをして顏も洗うなどは習慣として身についているから自然と出来る。私は次の日から実践し、今は普通の事となり、毎日色々学んでいる。知れば知る程、即断即決も出来るようになるし、己の自己啓発に繋がり、自然と成長できていると思う。

人生を幸せにするか不幸にするかは、結局の所、自分次第である。私は不幸のほうが現段階では断然に多いが、今は回復に向かい、こうしてエッセイ等も書けるほど精神的にも安定してきた。

私の人生は一度は完全に終わった。今は本当の意味で第二の人生を歩いている。何が起ころうとも、誰もが乗り越えれなかった壁を登りきった私には、恐れるものは何も無い。己の道を進むだけだ。

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