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悲しすぎる実話 2

叔父は最初は助教授だったが、賢く面倒見も良い為、教授になり、現在は副学部長で近畿大学の2番目につく場所にいる。私は叔父だけには頭が上がらない。愛情というものも叔父からしか受けた事が無かった。

その叔父が珍しく難しい顏をして、話しにくそうな顏をしていた。私が塾仲間の事を聞いたからだ。叔父はまず、私には嘘をつきたくないと言い、真実からは目を背けてはいけないと言った。そしてこれからはもっと苛酷な人生が待っていると言って、話し出した。

「お前も医者の息子だから分かるだろ? 子供には酷な世界だし、友達を作る事も出来ない上に、サラリーマン以上に忙しい異常な世界よ。お前もストレスが貯まって大変なのは分かってる。だが、堪えられない子の方が多い。あの子は自殺したんよ。まだ子供なのに、首吊り自殺したからもういない」

それからは弟のほうは塾には通っていたが、話もせずにすぐに帰るようになっていた。翌年の同日に弟も兄と同じように、首吊り自殺をした。これには親もショックだったらしいが、私的には自分のまいた種だと思った。

それを考慮しても話す人はいないだろう。誰もが親を恐れている。親が死ぬ頃には自分自身も染まっているから、この異常なループに気づかない。

皆が壊れていく中、私は幼くして人間学と称して自分だけで人間の研究を始めた。そして小学生の上級生になる頃、ふと思った。

私が今している事は、ある程度の人間が出来てから四千年経っている。絶対に私がしようとしている事をした人がいるはずだと考え、色々検索して見つけ出した。ソクラテスが私と全く同じ事をした事を知った。私は小学生の時に『哲学』と出逢った。

幼くして哲学に触れる事は非常に難しいものだとされてきていた。私はたまたま出逢えた訳だが、確かに普通に暮らしていれば出逢う事は無い。異常な世界に産まれ、そして尚且つ幼くして、自分さえも疑う程の苦悩『哲学』には出逢えない。

叔父の中には東大主席で卒業した人もいた。戦艦ヤマトの設計者でもあった。一度、私の家で一緒に飲んだことがあった。会社からは特別待遇で、出張費の上限無しだと言っていた。

私が今こうして、世界には出ない話をしたのは、そういう世界もある事を知って欲しかったこともあるが、不遇な人生を送っている、ただの道具として使われた人も多い事を知って欲しかった。

これからの未来のために。

#未来のためにできること

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