
イコライザー1 旧友にしか見せれない素の姿と本心の会話
元CIAの中で唯一心許せるロバートの友人である
メリッサ・レオが演じるスーザンにロバートが素
を出して話す会話。
スーザン「眠れなかった?」
ロバート「おはよう」
ため息交じりに彼は挨拶を交わした。
スーザン「ロバート、アリーナだけど、どうして?」
この言葉にはCIA時代の彼をスーザンは投影している
事は分かるが、わざわざ生存がバレる可能性がある
のに対して、彼女には不可解に思えた。
これは映画には入れてない話だが、彼は妻の死に
よって死を偽装してCIAから抜けていた。
ロバート「なぜ連中の仕打ちを見逃せなかったか
分からない。誰かが許し難いことを誰かにしてる。
赤の他人だが、私なら——何かしてやれる」
暫く沈黙の間に彼は考えたが、
自分でも分からなかった。この言葉から彼の心中
が見える。助ける力があるのに、例え赤の他人でも
たわいもない会話を、歳は離れていても
孤独な者同士が、僅かながら関わりを持って
ロバートとって、アリーナは孤独から救ってくれた
ような存在でもあった。
スーザン「それが昔からあなたという人間だから?」
ロバートはスーザンと少しの間、見つめ合い、
彼は、そうかもしれないと言うような笑みを生んで、
頷くように顏を下に向けた。
スーザン「進むべき道へ至るには過ちも犯す」
この言葉でロバートは黙ってしまった。
それは納得のいく答えだったからだった。
そして続けてスーザンはロバートを諭す。
スーザン「奥さんが愛したあなたは
——生きていたのね」
この言葉からスーザンさえも驚いていた事が
分かる。実話の「スノーデン」を見ても
全てを言い切れてはいない事が分かるように、
ロバートは妻に死なれて、一生一人で生きて
行く人生だと思っていた。
それは彼の部屋にある一式のグラスや皿から
も分かるし、誰かと特に親しくなりすぎると
必ず、その相手に災いが降りかかる可能性を
高めてしまうため、彼は妻の死後、外での
自分と中での自分に分けて生きていた。
これは私自身も同様の身であるから、非常に
分かり過ぎるほど悲しいが理解できる。
スーザン「進みなさい」
彼女の顏をじっと見つめながら、スーザンは
その眼に対して重ねて言うように相槌を
うった。スーザンは悲しみと喜びが、
混じり合ったような顏つきをし、
ロバートはスーザンに同調するように、
笑顔で俯いた。
ロバート「ああ」
最後にロバートは言葉として口を開いた。
スーザン「行く前に挨拶をね」
彼女も分かっていたように、ここで
さよならと言う。
彼は彼女が立ち去った後、「さよなら」
と言った。
そのさよならは彼女にとっては挨拶で
あったかは定かでは無いが、
少なくともロバートにとっての
「さよなら」は自分自身に向けての
さよならであった。
つまりはアリーナを助けると言う意味
を含んでいた。
会話には溜めや、目、顔つき、言葉の
速さや遅さ、視線などから色々な思い
が分かる。
これは良作な映画の場合、それらは
多く見られる。感情移入できるのは
それを自分自身では気づかぬうちに、
同調や自分を投影してしまうからである。
監督の裁量でそれは決まるものであるが、
当然ながら俳優によっても、気持ちの
表し方も変わったりしているが、
結局の所、同じ心の居場所に行きつく
ので、あとは好み次第になってくる。
スーザンは家の中に入ったら夫がいて、
ビル・プルマンが夫役を演じている。
映画ではブライアン役として出ている。
ブライアン「どうだ? 力になれた?」
彼が妻スーザンに尋ねた。
スーザン「助けではなく、許可を求め
に来たのよ」
ロバートをよく知るスーザンは彼の
気持ちを理解してくれていた。
ロバートは決意した顔つきになる。
「イコライザー」は1984年から1989年
にかけてアメリカで放送されたテレビ
ドラマ「ザ・シークレット・ハンター」
の劇場版である。
その為、カットしている部分もあるが、
見事に映画としても実に興味深いもの
となり成功を収めた。
映画の見方は人それぞれ違いはあるが、
どう捉えるかは映画を沢山みたからと
言って、的を得ているとは限らない。
人生も同様で、一度しか無い人生に
対して、どう生きるか決めるのは
自分自身だ。
迷いがあれば、その答えを出して
くれそうな人に心を打ち明け、
参考にして、自分でどうするべきか
決める。
自分で決める事によって、それは
自分の人生となる。
自分以外の人の選択を選べば、絶対
とは言えないが、問題が起きた時、
後悔するし、その相手に対して、
あまり良くない感情が生まれる。
人生は一度きりだ。
他人に振り回されず、自分の選択を
信じて生きていくしかない。