混沌とした中に…
整理整頓は大事だし、余計なものがない方が大切な事に気づく事も沢山あるだろうなと思うのだけど、すっきりしている所より、繁雑で、混沌とした場所に本質が眠っているようにも感じる。
病院に勤めていた頃は、全て色んな事がきちんと整理され、マニュアルがあり、適材適所に人が配置され、管理されやすく、そして、管理しやすい環境だった。
とても整理されてスッキリしているのに、何故か違和感があった。
今の職場は真逆で、いろんなトラブルが絶え間なく起きている。女性が多いので物理的な面で掃除は行き届くが、業務内容や人間関係はまさに混沌として
いる…。いつも不安定であっという間に崩れそうだ。
けれど、これが本当のようにも感じる。
みんなが仲良く、みんなが同じ考えであるなんてあり得ない。
強く揺るがないイニシアチブは大事な時もあるが、私は上からものを言われる事を私はあまり好まない。
そういう性質ではないのだろう。反骨、反発が私の言動力なのだ。これはもう仕方がないと最近は開き直っている。
しかし、私だけでなく、本来人間はそういう一面を必ず持っていて、どこか深いところに眠らせて沈めてしまっているだけなのではないかと思う事がある。
今、「多様性を認め合おう!」と世間では大きく謳われているわけだけど、それ以前の段階に自分がいるような気がしてならない。
この小さな人間関係でさえ、小競り合いがあり、誰かを認め合うどころか、お互いの足を引っ張り合ったりするわけだ。
こんな面倒な事に何故向き合おうとしているのだろう…。
面倒なのだか、この小さな小競り合いの中に日々いると、なぜか自分の中に静寂がやってくる。そして、そこから誰かの最高な瞬間がキラキラ光る時がある。私はそれを観察している。
彼や彼女が大切にしたいものを言動とかをゆっくり観察しながら探す。そして、時々語りかける。
煮込み料理を作るように。
具材を丁寧に下ごしらえして、ブイヨンも丁寧に作り、合わせてじっくり弱火で時間をかけて煮詰める。ゆっくり、じっくり。
カオスは何かを生み出す、もしく生まれる瞬間なのだろう。
なんとなく分かるのは、混沌とした中に、私は今日を生きている実感を味わえている。
そう。生きている。
混沌の中だから、きっとそれを感じるのだろう。
1人で変えることなんて出来ない。
みんなでいつか変えていく。
そんな日を…勝手に夢見ている。
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